超専寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
超専寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の超専寺は、東原山と号します。超専寺は、福島大和守の弟三河守親綱が、尼子伊豫守と毛利元就との戦いの中で子息を失い、時宗安國寺の法弟となり出家、超正と号し安佐郡東原村に一小原山東泉坊専福寺を創建したといいます。天文年間に浄土真宗に改宗、福島氏の代に当地へ移転、山号を東原山と改め、また寺号を超専寺としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
山号 | 東原山 |
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院号 | - |
寺号 | 超専寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区寺町6−11 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
超専寺の縁起
超専寺は、福島大和守の弟三河守親綱が、尼子伊豫守と毛利元就との戦いの中で子息を失い、時宗安國寺の法弟となり出家、超正と号し安佐郡東原村に一小原山東泉坊専福寺を創建したといいます。天文年間に浄土真宗に改宗、福島氏の代に当地へ移転、山号を東原山と改め、また寺号を超専寺としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
「廣島市史社寺史」による超専寺の縁起
超専寺[もと佛護寺十二坊の一]
超専寺は、東原山と號す、寺町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、開基超正は福島大和守の弟にして、俗名を三河守親綱といふ、安北郡(今の安佐郡の内)北の庄に住せしが、雲州尼子伊豫守藝州吉田に出陣し、毛利元就を攻めし時、親綱の一子戦死しければ薙染し、名を超正と改め、時宗安國寺の法弟となり、佐東郡(今の安佐郡の内)東原村に一宇を創建し、小原山東泉坊専福寺と號す、其後ち天文年中眞宗に改宗す、其子超宗は攝州石山合戦の時、門徒を率ゐて赴き籠城す、天正年中、毛利氏より佐東郡打越村の内なる小河内に寺地を賜はりしも、未だ移らず、而して福島氏の時に至り、今の寺地を替へ與へらる、乃ち之に移轉し、山號小原山を舊地の地名に依りて東原山と改む、又専福寺を超専寺と改めしは何の年代なるか歟詳かならずと雖も、慶安年間の舊記に始めて超専寺の名あらはれ、夫より以前は悉く専福寺とあり、されば慶安の頃に改めしかと云ふに、當寺に安置せる本尊の背には『寛永三戴超専寺什物』なりと記せり、依て考ふるに、本山にては早く超専寺と改まりしを、官廳にては暫く舊名を用ひたるものならん歟、正徳元年小原山浄玄寺と改稱す、明治十五年喚鐘(無銘)を新鑄し、同三十六年梵鐘(無銘)及鐘堂を造れり、(「廣島市史社寺史」より)
超専寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」