圓龍寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

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圓龍寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

圓龍寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の圓龍寺は、蔵満山と号します。圓龍寺の創建年代等は不詳ながら、当初時宗寺院として創建、安佐郡上安村南部谷蔵満にあったといいます。寛正・應仁の頃(1460-1469)に海然が上洛、蓮如上人の徒弟となり浄土真宗に改め、毛利氏が広島に開府の際廣瀬に寺地を受領、福島正則の代に当地へ移転したといいます。もと佛護寺十二坊の一です。

圓龍寺
圓龍寺の概要
山号 蔵満山
院号 -
寺号 圓龍寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 広島市中区寺町3−13
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



圓龍寺の縁起

圓龍寺の創建年代等は不詳ながら、当初時宗寺院として創建、安佐郡上安村南部谷蔵満にあったといいます。寛正・應仁の頃(1460-1469)に海然が上洛、蓮如上人の徒弟となり浄土真宗に改め、毛利氏が広島に開府の際廣瀬に寺地を受領、福島正則の代に当地へ移転したといいます。もと佛護寺十二坊の一です。

「廣島市史社寺史」による圓龍寺の縁起

圓龍寺[もと佛護寺十二坊の一]
圓龍寺は蔵満山と號す、寺町に在り、往古は佐東郡(今の安佐郡の内)上安村南部谷蔵満(一に蔵光に作る、今は蔵満又は寺田といふ)といへる所に在りて、宗旨は時宗なりき、本尊は阿彌陀如来にして、當寺初代海然が夢中感得の古佛なりと云ふ、開基・縁起ともに詳かならず、後ち寛正・應仁の頃、海然は上洛し、蓮如上人の徒弟となり、遂に眞宗に轉ず、毛利氏廣島開府の時、廣瀬村に寺地を賜はり、福島氏の時に至り、現今の地に移る、慶安元年第六代空了の時、本寺を再建せしも、多年風雨の爲めに腐朽せしが故に、明治四十年第十七代興嵓の時、澤原俊雄・高木幹吾等の有志信徒と相謀り、更に本堂の再建に着手し、同年四月二十七日起工式を擧げ、四十四年五月落成す、庫裡は文化元年十二代覺幢の時の再建にかゝる者なり、明治十五年喚鐘を新鑄す。(「廣島市史社寺史」より)


圓龍寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島市史社寺史」