本照寺。広島県広島市中区にある顕本法華宗系単立寺院
本照寺の概要
顕本法華宗系単立寺院の本照寺は、光瓊山と号します。本照寺は、妙満寺二十五世日殷上人の法弟日榮が、天正18年(1590)日殷上人入寂後に賀茂郡飯田妙福寺に住んでいたところ、福島正則の家臣小河若狭守安良が日榮に帰依し、寺地の寄附を受けて香馨山本照寺を創建したといいます。当寺三世日休は承応年間(1652-1655)妙満寺貫主に昇り、正徳4年(1714)には山号を光瓊山と改めています。
山号 | 光瓊山 |
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院号 | - |
寺号 | 本照寺 |
本尊 | - |
住所 | 広島市中区小町7−24 |
宗派 | 顕本法華宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本照寺の縁起
本照寺は、妙満寺二十五世日殷上人の法弟日榮が、天正18年(1590)日殷上人入寂後に賀茂郡飯田妙福寺に住んでいたところ、福島正則の家臣小河若狭守安良が日榮に帰依し、寺地の寄附を受けて香馨山本照寺を創建したといいます。当寺三世日休は承応年間(1652-1655)妙満寺貫主に昇り、正徳4年(1714)には山号を光瓊山と改めています。
「廣島縣史」による本照寺の縁起
本照寺
光瓊山生善院(妙満寺末)
天正の頃、賀茂郡妙福寺に住す、後福島家臣小河若狭守安良之を廣島へ迎へて石見屋町の小庵に置き、尋て別墅を寄附して、當寺を創む。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による本照寺の縁起
本照寺
本照寺は光瓊山と號す、もと法華宗勝劣派京都妙満寺の末寺なりしが、明治三十一年十二月顯本法華宗に改む、新川場町に在り、本尊は妙法主題なり、當寺開山日榮は妙満寺廿五世日殷上人の法弟にして、天正十八年五月晦日上人遷化の後ち當國に下り、賀茂郡飯田村妙福寺に住せしが、福島氏の時、其家臣小河若狭守安良は深く之に歸依して廣島に迎へ、初めは石見屋町に小庵を構え、後ち遂に別業の地を寄附して一宇を建立し、香馨山・本照寺と號す、承應中、三世日休妙満寺貫主に轉ず、正應四年山號を改め光瓊山となせり、境内に小河若狭守の五輪塔と傳ふる古墓あり、今は法名年月も讀み分ち難し、蓋し古より之に觸るれば必ず災禍ありとし、嘗て文化九年二百回忌に際しても、別に石塔を建てゝ法會を修し、この古墓は平常故らに敢て掃ふことを爲さず、徒らに蘇苔の生ふるに委せあるに依れり、本堂内に位牌あり、表面には「大檀那一如院(小河兵衛若州太守)清磐隆心大居士」と記し、裡面には『慶長十八年癸丑十一月十七日卒、福島左衛門太夫家臣小河若狭守安良、以境内之地、寄附于開山榮師矣』とあり(此位牌、後に改めしと見ゆ、山號文字、古の香馨山にあらず)中門あり、階上に鐘を懸く、元禄五年五月五世日如の時、舊鐘を改鑄せりといふ、(「廣島市史社寺史」より)
本照寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」