慈仙寺。広島県広島市中区にある浄土宗寺院
慈仙寺の概要
浄土宗寺院の慈仙寺は、清光山臺修院と号します。慈仙寺は、高田郡吉田町の宍戸氏が出家し靜雲となり、永禄年間(1558-1570)吉田青光山に開山したといいます。二世浩慶の代慶長13年(1608)福島氏により廣島新川場町へ移転、翌年当地へ移転したといいます。
山号 | 清光山 |
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院号 | 臺修院 |
寺号 | 慈仙寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区江波二本松1−4−25 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慈仙寺の縁起
慈仙寺は、高田郡吉田町の宍戸氏が出家し靜雲となり、永禄年間(1558-1570)吉田青光山に開山したといいます。二世浩慶の代慶長13年(1608)福島氏により廣島新川場町へ移転、翌年当地へ移転したといいます。
「廣島縣史」による慈仙寺の縁起
慈仙寺
永禄中吉田青光山に創立、開山靜雲、(俗称宍戸諱空壽吉田の人)二世浩慶の代慶長十三年廣島に移り、今の正清院の北に寺地を賜ひしか、翌十四年四月又今の所に轉せしめらる。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による慈仙寺の縁起
慈仙寺は、清光山・臺修院と號す、中島本町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、浄土宗西山派京都東山禅林寺・同西山光明寺・兩本山の末寺にして、藩制時代は誓願寺と交番觸頭と爲れり、初め高田郡吉田町に在りて、僧靜雲(宍戸氏)開山たり、二世浩慧に至り、慶長十三年九月福島氏の召に應じて當地に移り、新川場町正清院の北に寺地を賜ふ、翌年四月現地に轉じ、慶長十五年二月吉田なる本堂を此に移し、吉田の本寺を廢寺となす、慶安元年五世龍的の時、觀音堂を建立し、寶永元年十一月七世惠性の時、古鐘の音響損せしを以て之を改鑄す(明治三十七年境内火災あり、鐘樓のみを焼失し、梵鐘は依然存せり、)文化年間十四世普門の時、本堂を再建す、寺内に八相涅槃像三大幅(中幅涅槃圖八相、左幅舎利供養圖、右幅鳳輩梵天帝釋供養圖、縦三間横二間、)を蔵す、毎歳大陰暦二月十五・十六の兩日、寺境内に、之を掲げて衆庶に賽せしむ、遠近の善男善女参詣するもの踵を接し、門前自ら市を爲せり。(「廣島市史社寺史」より)
慈仙寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」