海宝寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
海宝寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の海宝寺は、長門山と号します。海宝寺は、玄西が開基となり、長門山圓通寺と号す真言宗寺院として創建、永禄11年(1568)顕如上人に帰依して浄土真宗に改め、海宝寺と改号したといいます。寛文10年(1670)の寺院調査に際して不手際があり、道場とされたものの、明治12年長門山海宝寺として認められています。海宝寺の山門は、昭和20年の原爆投下にも耐え、被爆建物として現存しています。
山号 | 長門山 |
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院号 | - |
寺号 | 海宝寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区江波南1−11−12 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
海宝寺の縁起
海宝寺は、玄西が開基となり、長門山圓通寺と号す真言宗寺院として創建、永禄11年(1568)顕如上人に帰依して浄土真宗に改め、海宝寺と改号したといいます。寛文10年(1670)の寺院調査に際して不手際があり、道場とされたものの、明治12年長門山海宝寺として認められています。
「廣島縣史」による海宝寺の縁起
海寶寺
開基玄西、昔は眞言宗、長門山圓通寺といへり、三世正玄、永禄十一年改宗して今の寺號とす、寛文中道場となり、明治十一年寺號公稱許可、もと光圓寺末。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による海宝寺の縁起
海寶寺
海寶寺は長門山と號す、江波町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、昔時當寺は眞言宗にして、開基玄西始めて此地に一宇を建立し、長門山圓通寺と稱す、三代正玄の時に至り、永禄十一年本願寺顯如上人に歸依し、其末派に列し、今の寺號を許さる、寛文十年寺院調査の際、廢寺の流言に惑はされ、「江波村道場」と書して上申せしより、遂に准列となれりと傳ふるも、縁起・舊記存せざれば詳かなること知り難し、もと光圓寺の末寺なりしが、明治十二年三月寺號通貫を地方廳に出願し、許可を得て獨立し、海寶寺と公稱するに至る、明治三十九年十二月正徳の古鐘破損せるを以て之を改鑄せり、境内に梅・杏の老樹二株あり。(「廣島市史社寺史」より)
海宝寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」