光福寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
光福寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の光福寺は、嶽扇山と号します。光福寺の創建年代等は不詳ながら、賀茂郡志和堀村にあったといいます。正徳年間(1711-1716)旧地志和村扇山の名に因んで、山号を嶽扇山としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
山号 | 嶽扇山 |
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院号 | - |
寺号 | 光福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区寺町4−33 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光福寺の縁起
光福寺の創建年代等は不詳ながら、賀茂郡志和堀村にあったといいます。正徳年間(1711-1716)旧地志和村扇山の名に因んで、山号を嶽扇山としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
「廣島市史社寺史」による光福寺の縁起
光福寺[もと佛護寺十二坊の一]
光福寺は嶽扇山と號す、寺町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、往昔賀茂郡志和堀村に在りて、宗旨は禅宗(一説に眞言宗)なりしが、開基・縁起・改宗の事歴は詳あらず(案ずるに、知新集に『當寺の先祖、志和東村光源寺、西原村明福寺の二寺を開基し云々』とあれば、當寺の開基僧即ち先祖は休圓ならんか、何となれば光源寺の開基は休圓なればなり)後志和堀村より高田郡井原村及び沼田郡西原村に移り、次で當地に移る。初め山號を無量山と唱へしが、正徳年中舊地志和村扇山の名に因みて、嶽扇山と改む、明治十五年喚鐘(無銘)を新鑄し、同三十九年庫裡(桁行七間、梁行十一間)を再建せり、(「廣島市史社寺史」より)
光福寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」