妙風寺。広島県広島市中区にある日蓮宗寺院
妙風寺の概要
日蓮宗寺院の妙風寺は、白島山大乗院と号します。妙風寺は、浅野氏の入国に伴い、紀伊から随行してきた日意が元和年間(1615-1624)に妙蔵院(妙像院)と号して創建、加藤肥後守の旧家臣加藤右馬允正方が正保元年(1645)に浅野家に仕官、当寺の檀越となり、加藤右馬允正方(妙風院正方大居士)の没後(慶安元年1648年)、妙風寺と改めたといいます。
山号 | 白島山 |
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院号 | 大乗院 |
寺号 | 妙風寺 |
本尊 | - |
住所 | 広島市中区東白島町1−18 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙風寺の縁起
妙風寺は、浅野氏の入国に伴い、紀伊から随行してきた日意が元和年間(1615-1624)に妙蔵院(妙像院)と号して創建、加藤肥後守の旧家臣加藤右馬允正方が正保元年(1645)に浅野家に仕官、当寺の檀越となり、加藤右馬允正方(妙風院正方大居士)の没後(慶安元年1648年)、妙風寺と改めたといいます。
「廣島縣史」による妙風寺の縁起
妙風寺
白島山大乗院(本國寺末)
元和五年待春紀伊より来り、今の所を賜ひ、在来の草庵に本尊を置き、妙蔵(一に像に作る)院と稱す、又本行寺の稱もありしか、正保中、檀越加藤正方風庵沒後、其法號妙風院に取り、寺號を改めしといふ。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による妙風寺の縁起
妙風寺は白島山・大乗院と號す、日蓮宗にして、東白島町に在り、本寺は妙頂寺に同じ(京都妙顯寺の末寺)、元和の初年(元和五年淺野氏の入國に随ひ来れりとの傳へあるも、入國次年の年頭御禮帳に寺名みへず、六七年の来れるものと考へられる、)僧日意紀州より来り、今の寺地を賜はりて一宇を建立し、故地に於ける院號を取りて妙蔵院と名づけ、又己れの院號に由り本行院とも本行寺とも呼べり、妙蔵院は舊記に多くは妙像院の字を用ゆ、元和七年九月の書記に『紀州より被参候妙像院、町屋敷の割あまし、東白島法花』とあるが如し、後加藤肥後守の家臣加藤右馬允正方といへる者、主家國除の際、廣島に来り(正保元年淺野家より合力米百口作を賜はる)當寺の檀越となり、慶安元年九月病歿せしかば、之を當寺に葬り、その法號に由りて、初めて妙風寺と改む、享保七年六世日臺の時、白島火災あり、不幸にして當寺盡く灰燼に歸す、其後寶暦九年七世日秀これを再興せしが、明治四十四年八月十三日復た火災に罹り、本堂其他焼亡し、同四十五年再建するに至りぬ、是より先き舊時の社堂多くは廢毀し、現に存するもの少し、日秀再興の時、改鑄せし古鐘(深草元政上人の舊鐘銘を重鑄す)今傳はらず、惜むべし。(「廣島市史社寺史」より)
妙風寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」