妙蓮寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
妙蓮寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の妙蓮寺は、法鼓山と号します。妙蓮寺は、土肥実平の後裔実時が剃髪して蓮順と名乗り、高田郡吉田に一宇を創建、法鼓山弘通院妙蓮寺と号していたといいます。毛利氏の代に素順が天台宗から浄土真宗に改め、安佐郡へ移転、寛永年間(1625-1644)には西白島町へ、その後当地へ移転したといいます。
山号 | 法鼓山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙蓮寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区袋町4−10 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙蓮寺の縁起
妙蓮寺は、土肥実平の後裔実時が剃髪して蓮順と名乗り、高田郡吉田に一宇を創建、法鼓山弘通院妙蓮寺と号していたといいます。毛利氏の代に素順が天台宗から浄土真宗に改め、安佐郡へ移転、寛永年間(1625-1644)には西白島町へ、その後当地へ移転したといいます。
「廣島縣史」による妙蓮寺の縁起
妙蓮寺
昔は天台宗、寛永中より眞宗となる、吉田に在りし時は、法鼓山弘通院妙蓮寺といふ、後安北郡深川に移り、居ること八年、寛永中西白島に轉し十四年にして更に今の所に移るといふ。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による妙蓮寺の縁起
妙蓮寺
妙蓮寺は法鼓山と號す、袋町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、開基は土肥實平の後裔實時なりと云ふ、實時剃髪して蓮順と號し、高田郡吉田に来り、一寺を草創し、法鼓山弘通院妙蓮寺と號す、初め天台宗なりしが、素順(毛利氏の時)の代に至り眞宗に轉じ、本願寺の末寺と爲り、吉田より安北郡(今の安佐郡の内)深川村に来り、後八年を經て、寛永年中廣島に来り、西白島町に住す、二代浄圓の時に至り、今の地に移る、寛延三年五代燈照の時、西派より東派に轉せしが、幾ばくもなくして、寶暦二年六代本受の時、西派に復す、安永二年釣鐘を再鑄し、明治二十八年二月十一代義觀の時、鐘樓門(二間四面)を再建し、同四十一年三月本堂の大修繕を爲せり、(「廣島市史社寺史」より)
妙蓮寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」