真行寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
真行寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の真行寺は、中原山と号します。真行寺は、龍杲山東善坊と号す真言宗寺院として安佐郡上町屋村に創建、日吉社の別当を勤めていたといいます。順空の代に浄土真宗に改め、坊舎はそのまま社僧を残し、順空自身は安佐郡新庄村中原へ移り、中原山東前坊と号したといいます。元和年中に東派に転じたものの興正寺門跡より内諭を受け、西派に復し、寺号を真行寺と改めています。もと佛護寺十二坊の一です。
山号 | 中原山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 真行寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区寺町5−38 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真行寺の縁起
真行寺は、龍杲山東善坊と号す真言宗寺院として安佐郡上町屋村に創建、日吉社の別当を勤めていたといいます。順空の代に浄土真宗に改め、坊舎はそのまま社僧を残し、順空自身は安佐郡新庄村中原へ移り、中原山東前坊と号したといいます。元和年中に東派に転じたものの興正寺門跡より内諭を受け、西派に復し、寺号を真行寺と改めています。もと佛護寺十二坊の一です。
「廣島市史社寺史」による真行寺の縁起
眞行寺[もと佛護寺十二坊の一]
眞行寺は中原山と號す、寺町光圓寺の南隣に在り、本尊は阿彌陀如来なり、昔時は安北郡(今の安佐郡の内)上町屋村に在りて、龍杲山東善坊と號し、眞言宗にて、日吉社の供僧なりき、文禄役の時、戦勝を祈りしを以て、其賞として五十三貫の地を寄附せらる、然るに順空の時に至り、眞宗西派に改宗し、佐東郡(今の安佐郡の内)新庄村中原に移り、別に上町屋村東善坊には社僧を殘して之を守らしむ、後東善坊を東前坊と改め、龍呆山を中原山と改む、元和年中、東派に轉ぜしが、寛永の初年興正寺門跡下向の時、内諭を受けて再び西派に復す、是時東字を忌みて眞行寺と改稱せり、當寺は元禄・寶永の間、佛護寺に對する訴訟の書中に、始めて十二坊に在るを以て見れば、其頃十二坊に入りしものならんか、詳かならず、藩制時代は藩主に年頭謁見の時、當寺及び正傳寺は獨禮にして、鳥目五十疋を献ずと舊記にあるを見れば、此二箇寺は十二坊の内にても、別格の優遇を蒙り居りしものか由来詳ならず、明治七年喚鐘(無銘)を新鑄し、同三十九年に庫裏を同四十四年に玄關を再建し、大正三年三月梵鐘を新鑄せり、(「廣島市史社寺史」より)
真行寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」