眞光寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
眞光寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の眞光寺は、應時山と号します。眞光寺の創建年代等は不詳ながら、安佐郡北下安村(祇園村)に天台宗寺院として創建、明応年間(1492-1501)に浄土真宗に改め、その後当地へ移転、明和5年(1764-1772)に山号を時應山から應時山へ改めたいいます。
山号 | 應時山 |
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院号 | - |
寺号 | 眞光寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区十日町2−1−27 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
眞光寺の縁起
眞光寺の創建年代等は不詳ながら、安佐郡北下安村(祇園村)に天台宗寺院として創建、明応年間(1492-1501)に浄土真宗に改め、その後当地へ移転、明和5年(1764-1772)に山号を時應山から應時山へ改めたいいます。
「廣島市史社寺史」による眞光寺の縁起
眞光寺
眞光寺は、もと時應山と號し、明和五年應時山と改む、空鞘町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、昔時は天台宗にて、佐東郡(今の安佐郡の内)金山の東麓北下安村(今の祇園村の内)に在り、明應年中、眞宗に改宗し、其後年月を經て、今の地に移る、舊記の存するものなければ、開基・由来詳かならず、寛永年中、四代祐念を中興の開基となす、元文元年十一月八日梵鐘を鑄造し、天保年間本門を再建し、明治三十八年六月二日の震災に依り、堂宇大破したるを以て同四十年十月本堂を再建し、庫裡に大修繕を加へ、次で大正二年五月本門の大修繕を爲せり、寺内に明治三十七八年戰役旅順閉塞船の機關一部あり、當時勇敢なる我海軍の閉塞作業の如何に壮烈なりしかを追想せしむるに恰好の記念物なり、(「廣島市史社寺史」より)
眞光寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」