正善坊。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
正善坊の概要
浄土真宗本願寺派寺院の正善坊は、森原山と号します。正善坊は、平重盛家臣斎藤実盛の二男斉藤六が出家して祐玄と称し、石見国田所村森原に一乗院と号して創建したといいます。長男永井源蔵は、建暦元年(1211)浄土真宗宗祖親鸞上人に帰依し正善坊了圓と名乗りました。その後、明応5年(1496)山縣郡中山村に、享禄3年(1530)高田郡小越村山寄に移転、天正年間(1573-1593)に広島へ移転し正善坊と号しています。もと佛護寺十二坊の一で、末寺24ヶ寺・孫末寺8ヶ寺を擁していました。
山号 | 森原山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 正善坊 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区寺町6−7 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正善坊の縁起
正善坊は、平重盛家臣斎藤実盛の二男斉藤六が出家して祐玄と称し、石見国田所村森原に一乗院と号して創建したといいます。長男永井源蔵は、建暦元年(1211)浄土真宗宗祖親鸞上人に帰依し正善坊了圓と名乗りました。その後、明応5年(1496)山縣郡中山村に、享禄3年(1530)高田郡小越村山寄に移転、天正年間(1573-1593)に広島へ移転し正善坊と号しています。もと佛護寺十二坊の一で、末寺24ヶ寺・孫末寺8ヶ寺を擁していました。
「廣島縣史」による正善坊の縁起
正善坊
平重盛家臣、斎藤實盛二男斉藤六出家して祐玄と稱し、初法相宗を學び、後眞言宗に轉し、石見田所村森原に一宇を立て、一乗院と號す、長男永井源蔵眞宗に歸依し、建暦元年宗祖の弟子となり、正善坊了圓と號す、明應五年山縣郡中山村に、享禄三年高田郡小越村山寄に轉居、天正中廣島廣島村に移り、今の寺號を稱す、元和中今の所に移ると傳ふるも、元禄中囘禄の爲め、詳なること知れず、末寺はもと二十四ヶ寺、孫末寺八ヶ寺、手次一人あり。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による正善坊の縁起
正善坊[もと佛護寺十二坊の一]
正善坊は森原山と號す、寺町園龍寺の南隣に在り、本尊は阿彌陀如来なり、往昔石見國邑智郡森原に在りて、一乗院と稱し、眞言宗なりしが、中ごろ眞宗に改宗し、正善坊と改號す、明應年中、山縣郡中山村に移り、享禄年中、再び高田郡小越村に轉じ、尋で同郡吉田及同郡井原村に遷り、毛利氏の時、廣島に来り、福島氏の時に至り、今の寺地を賜はり、當寺を建立す、先祖祐玄は齊藤實盛の二男、僧となりて越前國託明寺を開基せしものと云ふ、故に往時は實盛の遺物を同寺に蔵せしも、今は無し、明治十四年喚鐘を新鑄し、同二十九年本堂(桁行七間、梁行七間半、向拝付)を再建し、同三十年梵鐘を新鑄す、書院は明治三十九年の新建にかゝれり、
(「廣島市史社寺史」より)
正善坊の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」