徳応寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院
徳応寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の徳応寺は、玄風山と号します。徳応寺の創建年代等は不詳ながら、当初は時宗寺院立蔵坊として安佐郡下安村にあったといいます。永正年間(1504-1521)順専の代に浄土真宗に改め寺号を改称、毛利氏の代に佐伯郡古江村に寺地を受領、福島正則の代に当地へ移転したといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
山号 | 玄風山 |
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院号 | - |
寺号 | 徳応寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区寺町4−25 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
徳応寺の縁起
徳応寺の創建年代等は不詳ながら、当初は時宗寺院立蔵坊として安佐郡下安村にあったといいます。永正年間(1504-1521)順専の代に浄土真宗に改め寺号を改称、毛利氏の代に佐伯郡古江村に寺地を受領、福島正則の代に当地へ移転したといいます。もと佛護寺十二坊の一です。
「廣島市史社寺史」による徳応寺の縁起
徳應寺[もと佛護寺十二坊の一]
徳應寺は玄風山と號す、寺町光圓寺の北隣に在り、本尊は阿彌陀佛(恵心僧都の作と云ふ)なり、昔時は時宗にして立蔵坊と稱し、佐東郡(今の安佐郡の内)下安村に在り、永正年間順専の代、宗旨及び寺號を改む、毛利氏の時、佐西郡(今の佐伯郡)古江村に寺地を賜はりしが、福島氏の時に至り、今の地に移轉す、明治七年喚鐘(無銘)を新鑄せり。(「廣島市史社寺史」より)
徳応寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」