常林寺。広島県広島市西区にある浄土宗寺院
常林寺の概要
浄土宗寺院の常林寺は、松雲山高岳院と号します。常林寺は、福島氏の家臣(備後鞆の城代とも福山城の城代とも伝わる)大崎玄蕃尉(貞岳院殿松雲常林大居士)が逆修のため、妻(高岳院殿巌譽莊庵大姉)とともに慶長6年(1601)三川町に創建、松山出身の僧典誉を開山に迎えたといいます。大崎玄蕃尉の子息は紀州徳川家に仕え、大崎玄蕃尉夫妻も紀州に移ってしまったものの、法燈を維持してきたといいます。
山号 | 松雲山 |
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院号 | 高岳院 |
寺号 | 常林寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市西区三滝本町2-11 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常林寺の縁起
常林寺は、福島氏の家臣(備後鞆の城代とも福山城の城代とも伝わる)大崎玄蕃尉(貞岳院殿松雲常林大居士)が逆修のため、妻(高岳院殿巌譽莊庵大姉)とともに慶長6年(1601)三川町に創建、松山出身の僧典誉を開山に迎えたといいます。大崎玄蕃尉の子息は紀州徳川家に仕え、大崎玄蕃尉夫妻も紀州に移ってしまったものの、法燈を維持してきたといいます。
「廣島縣史」による常林寺の縁起
(流川町)常林寺
松雲山高岳院(智恩院末)
慶長六年典譽(伊豫松山の人)創立、福島家臣大崎玄蕃(法名貞岳院松雲常林生)存中より石塔位牌を置き、己の法名を寺號とし、室人の法名(高岱院嚴譽莊庵)を院號と爲す。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による常林寺の縁起
常林寺は松雲山・高岳院と號す、三川町に在り、宗派・本寺とも妙慶院に同じ(浄土宗宇、鎮西派京都智恩院の末寺)、本尊は阿彌陀如来(六阿彌陀の一)なり、開基は福島氏の家臣備後國鞆の城代大崎玄蕃尉(知行八千石、福島記には福山城の城代とあり)にして、慶長六年當寺を創建し、伊豫國松山の僧典譽を迎へて開山と爲す、玄蕃尉の法謚を貞岳院殿松雲常林大居士と云ひ、其妻の法謚を高岳院殿巌譽莊庵大姉といふ、典譽此夫妻の逆修を寺中に築き、兩法謚を併せ寺號を松雲山高岳院と爲す、福島氏除封の後、玄蕃の嫡子大崎三左衛門は紀州徳川家に仕へ、玄蕃夫妻も紀州に往きて卒す、元禄九年七月三世廓譽の時、梵鐘を鑄造せしも、今傳らず、寶暦八年の大火に諸堂類焼し、安永六年再び罹災せしを以て、假堂を造營し、今日に至れり。(「廣島市史社寺史」より)
常林寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」