粒坐天照神社。たつの市龍野町の神社

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粒坐天照神社。たつの市龍野町の神社

粒坐天照神社の概要

粒坐天照神社は、たつの市龍野町にある神社です。粒坐天照神社は、推古天皇2年(594)、当地の長者駁田彦が神託により稲種を授かり耕作したところ、一粒が萬倍して収穫できたことから、報賽の為に的場山の頂に祠を建て、創祀したといいます。貞観元年(859)には神階が従五位下勲六等より從四位下へ昇格、延喜式神名帳にも揖保郡七座の一つ名神大社として記載される式内社で、播磨三大社の一社です。嘉吉の乱(1441)により社殿焼失し小町へ遷座、天正9年(1581)龍野城主となった蜂須賀小六が当社を当地へ遷座しました。明治7年には郷社に列格、明治15年県社に昇格しています。

粒坐天照神社
粒坐天照神社の概要
社号 粒坐天照神社
祭神 天照國照彦大明命
相殿 -
境内社 菅原神社、天照大神社、瑜伽神社、稲荷神社、嚴島神社、住吉神社、愛宕神社、恵比須神社、稲荷神社、秋葉神社
祭日 例祭10月
住所 たつの市龍野町日山463
備考 -



粒坐天照神社の由緒

粒坐天照神社は、推古天皇2年(594)、当地の長者駁田彦が神託により稲種を授かり耕作したところ、一粒が萬倍して収穫できたことから、報賽の為に的場山(通称・台山)の頂に祠を建てて、農業の守護神天照国照彦火明命を祀ったといいます。貞観元年(859)には神階が従五位下勲六等より從四位下へ昇格、延喜式神名帳にも揖保郡七座の一つ名神大社として記載される式内社で、播磨三大社の一社です。嘉吉の乱(1441)により社殿焼失し小町へ遷座、天正9年(1581)龍野城主となった蜂須賀小六が当社を当地へ遷座しました。明治7年には郷社に列格、明治15年県社に昇格しています。

境内掲示による粒坐天照神社の由緒

式内名神大社粒坐天照神社
延喜式に揖保郡七座の一つと記載され、宍粟郡一宮町の伊和神社、垂水の海神社とともに播磨三大社の一つです。
神社縁起によると、推古天皇二年(五九四)、当地の有力者が神託を受け、的場山(通称・台山)の頂に祠を建て、農業の守護神天照国照彦火明命を祀ったのが始まりです。
その時、一粒の稲の種と水田を授かり、これを耕作したところ大豊作となり、一粒万倍したという。以後この土地はイイボ(粒、揖保、飯穂)の郡と呼ばれる穀倉地帯となりました。
室町時代の嘉吉の乱(一四四一)の兵火で社殿が焼失、揖西町小神に遷座しました。
天正九年(一五八一)、龍野城主となった蜂須賀小六正勝が、日山(当時は樋山村と呼んだ)の現在地へ遷座、続いて城主となった福島正則が社殿を造営しました。
寛文十二年(一六七二)に信州から城主として着任した脇坂家の藩主も尊崇厚く、神域が拡大され、数多くの境内末社を勧請合祀しました。
平成六年には神社創立千四百年を執行しています。
神社は再三の火災に遇い、現在の神殿、幣殿、祝詞殿は昭和三十七年(一九六二)に拝殿、社務所は同五十六年に建立されました。
二月二十四、五日は菅原道真を祀る菅原神社の祭礼(天神祭)、七月十四、五日は一年の健康を祈念する輪抜け祭、十月には秋祭があってにぎわいます。
氏子は龍野、揖西、揖保川三町の三千三百世帯です。(龍野町史談会掲示より)

「兵庫県神社誌」による粒坐天照神社の由緒

縣社粒座天照神社
鎮座地 龍野町日山
【播磨鑑】樋山村 昔ハ在小神村故ニ大神村ト云へり
【特選神名牒】伊保庄日山村(揖保郡東栗栖村大字日山)
【神祇志料】伊保庄日山村天神山にあり
祭神 天照國照彦大明命
由緒 傳へいふ推古天皇二年四月一日關村の長者駁田彦なる者(揖西郡揖西村ノ内小神村は往古關村と稱せしと口碑に傳ふ)に神託ありて稲種を授け賜ひしを水田に蒔きしに其秋豊熟して一粒萬倍す因つて報賽の爲め創立せし神社なりといふ、稲種萬倍の縁に依りて伊保郡伊保庄と稱す清和天皇貞観元年從五位下勲六等より從四位下となり嘉吉元年兵火に罹りて炎上し文明、明應、永禄年間度々造營ありしも又兵火の爲め回録す天正年間揖西村小神村より遷座して三社権現と改稱し慶長七年社殿焼失せしかば寛永三年之を造營す明治七年二月郷社に列し同十五年二月縣社に昇格す同二十四年幣殿を新築し同二十七年社務所を新築せり(「兵庫県神社誌」より)


粒坐天照神社の周辺図


参考資料

  • 「兵庫県神社誌」