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大蓮寺。兵庫県赤穂市加里屋にある浄土宗寺院

大蓮寺の概要

浄土宗寺院の大蓮寺は、照満山宝池院と号します。大蓮寺は、乗蓮社台誉上人朝阿寒道和尚(天文元年1532年寂)が雄鷹台山麓に開山、江戸時代初期に城下町へ移転したといいます。赤穂浅野第二代藩主長友夫人で鳥羽藩主内藤忠政侯の息女波知の方(戒名・戒珠院殿理庵栄智大姉)の菩提寺となっています。境内には大石内蔵助寄進の稲荷神社と石灯篭が祀られています。

大蓮寺
大蓮寺の概要
山号 照満山
院号 宝池院
寺号 大蓮寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 赤穂市加里屋2027
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大蓮寺の縁起

大蓮寺は、乗蓮社台誉上人朝阿寒道和尚(天文元年1532年寂)が雄鷹台山麓に開山、江戸時代初期に城下町へ移転したといいます。赤穂浅野第二代藩主長友夫人で鳥羽藩主内藤忠政侯の息女波知の方(戒名・戒珠院殿理庵栄智大姉)の菩提寺となっています。境内には大石内蔵助寄進の稲荷神社と石灯篭が祀られています。

境内掲示による大蓮寺の縁起

照満山宝池院大蓮寺
当寺は約五百年前、乗蓮社台誉上人朝阿寒道和尚(天文元年(一五三二)寂)により開かれた。当初は現在地ではなく、現JR播州赤穂駅北方の山麓にあったといわれる。現在地に映った時は定かではないが、藩主池田照興時代(寛永八年〜正保二年(一六三一〜一六四五))の城下絵図には現在地に記されている。
第四世楊蓮社称誉上人務白西碩和尚(元禄四年寂)の代に赤穂浅野第二代藩主長友夫人波知の方(戒名・戒珠院殿理庵栄智大姉)の菩提寺となった。波知の方は、志摩国鳥羽藩主内藤忠政侯の娘として生まれ、浅野長友侯の娘として生まれ、浅野長友侯に嫁いだ。内藤家の宗旨が浄土宗であったため、当寺を菩提寺としたのである。波知の方は、寛文十二年(一六七二)十二月二十日江戸にて寂。長子長矩五歳の時であり、短い障害の薄幸の女性であった。
浅野家断絶後の当寺は、藩主森家の家臣を中心とした浄土念仏信仰の菩提寺として現在に至っている。
本堂は、第九世晋誉上人の代、寛政年間に建立されたものである。
境内には、戒珠院殿の墓、大石内蔵助寄進の稲荷神社と石灯篭、当寺で得度された浄土宗総本山知恩院第七十八世門跡野上運海上人の墓、儒学者赤蘭室師の墓等がある。(赤穂義士会掲示より)

「赤穂義士史跡めぐり」による大蓮寺の縁起

加里屋古城がつくられたころ、城下町も形をととのえはじめた。そのころ加里屋における最初の寺として、城下の西のおさえという形で建てられたものであろうと言われる。
寺には浅野家二代長友の夫人、戒珠院殿の墓がある。
赤穂開城のとき、大石良雄をはじめ家中が戒珠院殿の供養に4反6畝4歩(約46a)の田を買って寄進している。境内には大石良雄寄進という石灯籠がある。
また奇僧横井金谷が、しばらくこの寺に逗留し、「法然上人絵伝」をえがき、寺宝として保存されている。(「赤穂義士史跡めぐり」より)


いいお墓

大蓮寺所蔵の文化財

  • 大蓮寺山門一棟(赤穂市指定有形文化財)

大蓮寺山門一棟

大蓮寺は、天文元年(1532)に寂した察道和尚が開山したもので、当初は雄鷹台山麓にあったものが、17世紀前半になって城下町に移されたという。
この山門は、一般的な門形式に該当しない特異な形式である。中央棟と両脇棟の屋根を段違いにし中央を開き戸、両脇を片開きにしているため3つに分かれて見える。しかし、建物全体の軒下に一本の冠木を通し、3間1戸の形式になっている。又四脚門のようにも見えるが、構造上では大規模な楼門の両妻側に、末広がりの控え柱を入れ、貫と板壁で妻側の軸部を固めた形式といえよう。
市内の寺院に本建物のような特異な形式の門はなく、規模が雄大で、また江戸時代前半期を代表するような簡素な彫り物も門全体の意匠を品位ある優れたものにしており、市内では貴重な建築遺構になっている。
葺かれた瓦には「明和区己丑六年」(1769)とあり、細部意匠等からも妥当と考えられる。(赤穂市教育委員会掲示より)

大蓮寺の周辺図


参考資料
  • 赤穂義士史跡めぐり(財団法人赤穂市文化振興財団刊行)