松龍山如来寺。兵庫県たつの市龍野町にある浄土宗寺院
如来寺の概要
浄土宗寺院の如来寺は、松龍山来迎院と号します。如来寺は、内山城主塩津新左衛門が開基となり、賢正上人が天文2年(1533)龍野に開山したといいます。当寺本尊は、かつて延文元年(1356)に創建した神岡町大義寺の本尊でしたが、山名軍の兵火により寺は焼失、本尊は皿池に埋めて難を逃れたものだといいます。
山号 | 松龍山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 如来寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | たつの市龍野町大手65 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
如来寺の縁起
如来寺は、内山城主塩津新左衛門が開基となり、賢正上人が天文2年(1533)龍野に開山したといいます。当寺本尊は、かつて延文元年(1356)に創建した神岡町大義寺の本尊でしたが、山名軍の兵火により寺は焼失、本尊は皿池に埋めて難を逃れたものだといいます。
境内掲示による如来寺の縁起
寺伝によると、延文元年(1356年)神岡郷大住寺(現龍野市神岡町)に創建された喜多野氏の菩提寺大義寺が、嘉吉の乱(1441年)の後、山名軍の兵火で焼失した際本尊は炎の中より助け出され近くの皿池に鎮められ難を逃れた。後になって池より仏像を堀り上げ。賢正上人に託し、天文2年(1533年)内山城主塩津新左衛門等に依って龍野の地に如来寺を開いたと言われている。
享保15年(1730年)京都宝鏡寺門跡より、山号額「松龍山」賜わる。(境内掲示より)
如来寺所蔵の文化財
- 如来寺の涅槃図
如来寺の涅槃図
涅槃図とは、釈迦の亡くなられた様を描いた絵である。
北枕で西向きに横たわる釈迦の周りでは、弟子たちや多くの動物が集まって嘆き悲しみ、上空には駆けつける釈迦の母、摩耶夫人が描かれている。絵は細部にいたるまで極めて丁寧な描写がなされ、全体の調和がとれた構図であり、彩色も美しい。
本図には、右下に慶安四(一六五一)年五月廿なのか加納永納筆の墨書があり、永納の印も確認できるため、作者と年代が明らかである。加納永納の画風を知る基準となる作品で、近世における美術史的価値を有する絵画である。(たつの市教育委員会掲示より)
如来寺の周辺図