平泉熊野三社。平泉の北方鎮守として創建
平泉熊野三社の概要
平泉熊野三社は、平泉町平泉花立にある神社です。平泉熊野三社は、平泉の五方鎮守の神として藤原三衡の頃に創建した社の一つで、平泉の北方鎮守として建立されたといいます。安政2年(1855)境内を華館山に移し仮宮を建立、その後本社を合祀し熊野三社と改称したといいます。
社号 | 熊野三社 |
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祭神 | 伊邪那岐命、伊邪那美命、少彦名命、天忍穂耳命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春祭三月九日、秋祭九月十九日 |
住所 | 平泉町平泉花立92 |
備考 | - |
平泉熊野三社の由緒
平泉熊野三社は、平泉の五方鎮守の神として藤原三衡の頃に創建した社の一つで、平泉の北方鎮守として建立されたといいます。安政2年(1855)境内を華館山に移し仮宮を建立、その後本社を合祀し熊野三社と改称したといいます。
「岩手県神社名鑑」による平泉熊野三社の由緒
記載なし。(「岩手県神社名鑑」より)
「岩手県町村誌」による平泉熊野三社の由緒
(平泉村)
該当記載なし(「岩手県町村誌」より)
境内掲示による平泉熊野三社の由緒
熊野三社由緒
當熊野三社は、人皇五十四代仁明天皇御宇、嘉祥年中(八五〇年頃)勅命に依り、慈覚大師が衆生済度の為、東国に下向し国々に神社仏閣を建立し、特に奥国磐井郡平泉郷には、五方鎮守の宮社を構えた後に、上皇七十三代同四代堀川鳥羽の両帝の勅願として、嘉保年中(一〇九四年頃)奥羽両國の探題鎮守、藤原清衡将軍が江刺豊田城より居城を平泉郷に移し鎮守府の政を執るに當り平泉鎮守の神として五方鎮守総社を建立され其の中の當熊野社平泉北方鎮守の神として紀州熊野山、芳野金峯山より移して金峯社、熊野社を建立す、五間四面の宮造りの社殿で紀伊国より熊野権現の分身を本宮より御分霊賜り守護神として木像を安置し本社に、子守社、勝手社を祀りしも元亀二年野火にて焼失し其の後時を経て安政二年(一八五五年)境内を華館山に移し仮宮を建立し本社を合祀し熊野三社と社名を改めて参りました。明治二十四年仮宮を改築造営致して参りましたが老朽化せる為、平成二十二年九月に現在の社殿を造営し境内整備をし完成致しました。尚焼失の際、蔵王権現木像(鎌倉時代の作)の一部(首)持って面に改め残って居り當社の宝物として祀られて居ります。
御祭神
熊野社 伊邪那岐命、伊邪那美命
子守社 少彦名命
勝手社 天忍穂耳命
例祭
春祭三月九日、秋祭九月十九日。(境内掲示より)
平泉熊野三社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」