配志和神社。一関市山目の神社

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配志和神社。旧火石和宮、旧県社

配志和神社の概要

配志和神社は、一関市山目にある神社です。配志和神社は、日本武尊が東征に際し、磐座山に火石和宮と号して創建したと伝えられ、仁壽2年(852)には神階を授けられていたといいます。延喜年間(901-923)当社地へ遷座、延長5年(927)配志和神社と改めたといいます。「延喜式内神名帳」にも記載される古社で、磐井郡の西岩井・流の総鎮守神として崇敬されていました。その後応仁の乱により社殿等焼失、蘭梅明神(梅の宮)と称されていましたが、江戸期に入り当社が配志和神社だとされ、明治維新後には郷社に、その後県社に列格していました。

配志和神社
配志和神社の概要
社号 配志和神社
祭神 高皇産霊尊、瓊瓊杵尊、木花開耶姫命
相殿 -
境内社 愛宕神社、神明社、八幡神社、天神社、八雲神社、荒神社
祭日 5月1日
住所 一関市山目山目字館56
備考 -



配志和神社の由緒

配志和神社は、日本武尊が東征に際し、磐座山に火石和宮と号して創建したと伝えられ、仁壽2年(852)には神階を授けられていたといいます。延喜年間(901-923)当社地へ遷座、延長5年(927)配志和神社と改めたといいます。「延喜式内神名帳」にも記載される古社で、磐井郡の西岩井・流の総鎮守神として崇敬されていました。その後応仁の乱により社殿等焼失、蘭梅明神(梅の宮)と称されていましたが、江戸期に入り当社が配志和神社だとされ、明治維新後には郷社に、その後県社に列格していました。

「岩手県神社名鑑」による配志和神社の由緒

延喜式神名帳にも一記載されており、創立は古くから人皇十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い、遠く道の奥の国に入り蝦夷の地に至る。進んで営をこの地、中津郷の山要峯に移し(神社地内)、その嶺頂に登り梟賊を平治せんことを祈り、自ら矛を収め三神を鎮斎し、東奥鎮護の神として祠を建て火石輪と称した。
今の配志和神社である。(「岩手県神社名鑑」より)

「岩手県町村誌」による配志和神社の由緒

(山ノ目村)
配志和神社(郷社)
地名辭書に云く今山ノ目村蘭梅山の神祠を以て之に擬せらる、文徳實録仁壽二年配志和神授位の事始見し延喜式磐井郡配志和神社と載す、後世其所在を失ひ觀聞志には之れを傳ふるものなし、封内記に至り山の目梅宮を以て之に擬す別當寺僧種々の附會をなして所説あれど採りがたし又配志和の語意知れず夷言歟、神祇志云配志和神社は日本武尊東征の時親ら三神を鎮祭し其山を磐座と名づけ其宮を火石和と號す、郡中獨立八面の山なり(今の社を去ること五十丁餘)今の地に遷座せしは延喜年中なり、上古夷賊の逆亂によりて殿堂炎上して荒郊となる、數世を經て陸奥鎮東将軍左辨巨勢朝臣宮殿を造り神主を置き其後小黒麿田村麿小野春風源義家等の國司當社を修造し祭田を寄附し或は兵器を献納せり、然るに應仁以来の大亂に本宮末社悉く焼亡せしが天文の末宮司信慶假宮を建て祭祀を復せり其後信慶の玄孫正殿を造る、實に正徳元年なり。(「岩手県町村誌」より)


配志和神社所蔵の文化財

  • 配志和神社社殿
  • 夫婦杉
  • モミ林

配志和神社社殿

配志和神社本殿は「延喜式内神名帳」にも記載される延喜式内社で、磐井郡二座のうちの西岩井・流の総鎮守神として、崇められてきました。はじめ磐座山に鎮座して火石和と呼ばれ、後に始輪大明神、穂志波社梅森明神・蘭梅明神(梅の宮)、刃蔵社とも呼ばれました。
配志和神社に改めたのは延長5年(927)で中世に現在地に移されて今日に至っています。宝暦風土記(1763)によると、その創建は日本武尊が蝦夷征伐の際に、高皇産霊尊、瓊瓊杵尊、木花開耶姫命の三神を祀り戦勝祈願したことといわれ、その三神が祭神とされています。「県社配志和神社略記」によると、本殿は養和元年(1181)、拝殿は正徳元年(1711)に改築されたとされていますが、現在の社殿は拝殿と本殿を幣殿でつなぐ複合社殿であり、江戸時代の特色が見受けられます。また、拝殿二手先組、化粧屋根裏橋架、本殿欄間彫刻といった構造手法も非常に優れており、当地方の信仰や社寺建築の歴史を知るうえでも貴重な建築物です。(一関市教育委員会掲示より)

夫婦杉

本殿前の二本の大きなスギは、市内では最古、最大級で、配志和神社の御神木として大切に保護されています。
この樹木は北側が目通周七.一八南側が四.八三、樹高は、いずれも四十二(単位m)、樹齢は千年以上と推定されます。
風雪に耐えながら永きにわたり寄り添うようにそそり立つその姿に、地元では何時しか夫婦杉と言うようになりました。(一関市教育委員会掲示より)

モミ林

モミは日本固有の常緑針葉樹で、暖温帯から冷温帯まで分布し、中間温帯林の主要構成種です。
モミ林は配志和神社のほか、小規模ながら平泉町中尊寺、衣川村三峰神社、前沢町熊野神社、沿岸部と、宮古市黒森神社に見ることができます。
当地方における分布は、標高10~500mの平地や丘陵地帯に限られ、人間の主要な生活の場であることから人為的影響を受けやすく、わずかに神社や仏閣の境内林などに残存している程度です。
このモミ林で最大のものは目通周3.50m、樹高30mで、樹齢300年以上と推定され、北限附近に分布するモミ林としては最大級の規模であり学術上貴重な植生です。(一関市教育委員会掲示より)

配志和神社の周辺図


参考資料

  • 「岩手県神社名鑑」