大平山稲荷神社。照井太郎高春が磐井里開拓の際に創建
大平山稲荷神社の概要
大平山稲荷神社は、一関市山目町にある神社です。大平山稲荷神社は、藤原秀衡の遺臣照井太郎高春が磐井里を開拓する際、大平山に稲荷大明神を祀り創建、用水堰を開鑿できたことから、大平山の麓に社殿を今週して正一位和光稲荷大明神を勧請したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 稲蒼魂命、別雷命 |
相殿 | - |
境内社 | 事代主神社(恵比寿神社) |
祭日 | 10月20日 |
住所 | 一関市山目町山目町19 |
備考 | - |
大平山稲荷神社の由緒
大平山稲荷神社は、藤原秀衡の遺臣照井太郎高春が磐井里を開拓する際、大平山に稲荷大明神を祀り創建、用水堰を開鑿できたことから、大平山の麓に社殿を今週して正一位和光稲荷大明神を勧請したといいます。
「岩手県神社名鑑」による大平山稲荷神社の由緒
人皇八十二代後鳥羽天皇の文治年中(一一八五-一一九〇)鎮守府将軍藤原秀衡の遺臣照井太郎高春、磐井里を開拓して耕田を拡張せんことを志し、水路の開通を企図し百方画策すれども成らず、依って一念発起中津郷大平山の高台をして大いに祭壇を築き神籬を立て、五穀の守護神山城国深草の稲荷大明神を杷り崇敬なる祭典を挙げ、神明の加護により磐井川の上流須川の水を濯概せんと祈願を寵め鋭意設計を立て工事を努めしに、御霊験により用水堰の開鑿漸くその緒に就くを得たり。高春感喜措く能わず御神徳の崇高なるを謝し奉賽して太平山麓に新に社殿を建立し、正一位和光稲荷大明神を勧請して祭祀を厚くせり。高春の子孫皆その遺志を継ぎ篤くこれを崇敬し、開鑿工事に励み、遂に堰通水の偉業を完成せり。
(「岩手県神社名鑑」より)
「岩手県町村誌」による大平山稲荷神社の由緒
(山ノ目村)
該当記載なし(「岩手県町村誌」より)
大平山稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」