盛岡八幡宮。盛岡市八幡町の神社

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盛岡八幡宮。南部藩二十九代重信公が造営、旧県社

盛岡八幡宮の概要

盛岡八幡宮は、盛岡市八幡町にある神社です。盛岡八幡宮は、南部藩二十九代重信公が、盛岡城内鳩森八幡神社の遥拝所として延宝八年(1680)に創建、明治維新後に盛岡城が廃城となり、鳩森八幡神社の御霊代を明治5年(1872)当地に遷座、明治6年県社に列格しています。

盛岡八幡宮
盛岡八幡宮の概要
社号 盛岡八幡宮
祭神 品陀和気命
相殿 -
境内社 神明社、笠森稲荷社、梅宮、出雲神社、天照皇大神社、八坂神社、三島神社、賀茂神社、大神神社、神明神社、八雲神社、日吉神社、春日神社、正八幡神社、鳩森八幡神社
祭日 9月15日
住所 盛岡市八幡町13-1
備考 -



盛岡八幡宮の由緒

盛岡八幡宮は、南部藩二十九代重信公が、盛岡城内鳩森八幡神社の遥拝所として延宝八年(1680)に創建、明治維新後に盛岡城が廃城となり、鳩森八幡神社の御霊代を明治5年(1872)当地に遷座、明治6年県社に列格しています。

「岩手県神社名鑑」による盛岡八幡宮の由緒

寛文十一年(一六七一)二月、第二十九代重信公は、志家の地(現在地)に新八幡宮(神幸所)造営の工を起し、延宝八年(一六八〇)主要建造物が完成するや、翌九年(一六八一)八月十四日から三日間、盛大なる新八幡宮鎮祭の重儀が行なわれた。
爾来、上は藩主、下は一般庶民の限りない崇敬をあつめ、地方の大社の威厳を風靡してきたのである。
明治維新により盛岡城はその主を失い、御本社である城内鳩森八幡神社は祭祀執行の途を閉ざされ、明治五年(一八七二)十月、御霊代を新八幡宮に遷座し、翌六年(一八七三)四月、県下最初の県社となった。
明治九年(一八七六)、天皇・東北御巡幸の際当社に行幸され、南部駒天覧の栄に輝く。
昭和二十年(一九四五)、神道指令により神社社格を廃止された。
現在は神社本庁の別表に掲げる神社であり県下第一の大社として崇敬されている。(「岩手県神社名鑑」より)


盛岡八幡宮所蔵の文化財

  • 青銅燈籠二基(盛岡市指定文化財)

青銅燈籠二基

この燈籠は、城下の町人達が盛岡八幡宮に奉納したもので、盛岡藩御用職人、藤田家五代目藤田善兵衛秀彭と弟、善蔵情有によって、文化九年(一八一二)に造られた。
上部から宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎・基壇で構成され、青銅製の部分は三分割できるようになっている。竿は円形で蕨手状の反りのある稜線で六区分され、火袋に鳳凰・桐花文透・中台は左右一対で子・丑・寅等の十二支を鋳出し、基礎には牡丹・唐獅子・銘文を陽鋳している。
盛岡藩第十一代藩主南部利敬が八幡宮から「札の辻」(現在の岩手銀行中ノ橋支店付近)に移動させ、「八幡宮」の文字を削り取ってしまったが、その後、氏子達の尽力により境内に戻された。(盛岡市教育委員会掲示より)

盛岡八幡宮の周辺図


参考資料

  • 「岩手県神社名鑑」