十文字稲荷神社。東中野の豪農田所佐助氏が建立
十文字稲荷神社の概要
十文字稲荷神社は、盛岡市鉈屋町にある神社です。十文字稲荷神社は、東中野の豪農田所佐助氏が、修験寺「鑪峰山永壽院」の境内に寶永6年(1709)建立、第十一代藩主南部利敬公が定めた稲荷社四十八社の十八番社だったといいます。
社号 | 十文字稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 盛岡市鉈屋町10 |
備考 | - |
十文字稲荷神社の由緒
十文字稲荷神社は、東中野の豪農田所佐助氏が、修験寺「鑪峰山永壽院」の境内に寶永6年(1709)建立、第十一代藩主南部利敬公が定めた稲荷社四十八社の十八番社だったといいます。
境内掲示による十文字稲荷神社の由緒
盛岡藩主南部家古文書「御領分社堂」によると
東中野十文字
稲荷社別当永壽院
本地十一面観音 神号倉稲魂命奉祝候
寶永六年九月 田所佐助と申す者
拙僧居屋敷之内 建立仕候
と記録があり、江戸中期の寶永六年(一七〇九)秋、修験寺「鑪峰山永壽院」の境内に、田所佐助によって社堂が建立され、稲荷大明神を勧請したことがわかる。
創建者の田所氏は東中野在の豪農(大地主)で信仰に厚い人物であったと伝えられる。
第十一代藩主南部利敬公は、敬神の念厚く、領内社寺の再興を図り、特に五穀豊穣・商売繁盛を導く稲荷信仰を勧奨したと言われ、各地に稲荷社が創建された。
一説によれば、藩主利敬公の時代、四十八社の稲荷社を定め、第一番社が盛岡城内に祀られた榊山稲荷大明神社で、十文字稲荷大明神社は、その十八番社といわれる。(十文字稲荷神社講中掲示より)
「岩手県神社名鑑」による十文字稲荷神社の由緒
掲載なし(「岩手県神社名鑑」より)
十文字稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」