三ツ石神社。鬼に手形を押させ・岩手の地名発祥となった三ツ石
三ツ石神社の概要
三ツ石神社は、盛岡市名須川町にある神社です。三ツ石神社の創建年代等は不詳ながら、少彦名命を始め四柱の大神を祀り、古くより信仰されてきたといいます。伝承では、鬼が住民・旅人を悩ませていたので、当社に祈願して鬼を捉えて三ツ石に縛り付けたところ、鬼が退散することを誓ったので、三ツ石(岩)に手形を押させたとも伝えられ、このことから岩手の名称が生まれたとも伝えられます。南部二十七代利直公の盛岡築城に際しては、南部初代光行公の神霊を合祀、明治3年には村社に列格していました。
社号 | 三ツ石神社 |
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祭神 | 少彦名命 |
相殿 | 四柱大神 |
境内社 | 南部稲荷社 |
祭日 | 例大祭8月下旬 |
住所 | 盛岡市名須川町2-1 |
備考 | - |
三ツ石神社の由緒
三ツ石神社の創建年代等は不詳ながら、少彦名命を始め四柱の大神を祀り、古くより信仰されてきたといいます。伝承では、鬼が住民・旅人を悩ませていたので、当社に祈願して鬼を捉えて三ツ石に縛り付けたところ、鬼が退散することを誓ったので、三ツ石(岩)に手形を押させたとも伝えられ、このことから岩手の名称が生まれたとも伝えられます。南部二十七代利直公の盛岡築城に際しては、南部初代光行公の神霊を合祀、明治3年には村社に列格していました。
「岩手県神社名鑑」にまつわる明治天皇勅使差遣
古来、当社境内の三ツ石を三ツ石大明神と仰ぎ、少彦名命を始め四柱の大神を祀り、増産・医療・縁結びの神として信仰されていたが、南部二十七代利直公が盛岡に城を移したとき、南部初代光行公の神霊を三ツ石神社にお祀りしてからは、益々郷土の守護神として住民の篤い信仰を集めた。
また、言い伝えによれば、この地方には鬼が住んでいて、住民や旅人を悩ましたので、住民は三ツ石の神さまにお願いして、この鬼を捕まえてもらい、三ツ石にしばりつけたところ、鬼は二度と悪事はしないし、この地方にはやって来ないと誓ったので、その約束の印として三ツ石に手形を押させた云々・・・と伝えられている。このことから「岩手」の県名が生まれ、また、この手形の跡には苔が生えないことから、今でも「鬼の手形」として信仰を集めている。
明治三年(一八七〇)村社に列格す。(「岩手県神社名鑑」より)
三ツ石神社所蔵の文化財
- 三ツ石と鬼の手形
三ツ石と鬼の手形
伝説によると昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて付近の住民をなやまし旅人をおどしていました。そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕えてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。
この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓ったのでこの地方を「不来方」と呼ぶようになったと伝えられています。
鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も幾日も踊り、神さまに感謝のまごころを捧げました。この踊りが「さんさ」踊りの起源といわれています。(境内掲示より)
三ツ石神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」