大宮神社。盛岡市本宮の神社

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大宮神社。坂上田村麻呂創建、旧郷社

大宮神社の概要

大宮神社は、盛岡市本宮にある神社です。大宮神社は、坂上田村麻呂が高丸(アテルイ一族)征伐に際して当地に布陣、伊勢神宮外宮を勧請して大同2年(807)に創建したといいます。坂上田村麻呂に同行した神主の社家が代々祭祀を務め、明治維新後には郷社に列格していました。

大宮神社
大宮神社の概要
社号 大宮神社
祭神 豊受皇大御神
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 8月17日
住所 盛岡市本宮大宮51
備考 -



大宮神社の由緒

大宮神社は、坂上田村麻呂が高丸(アテルイ一族)征伐に際して当地に布陣、伊勢神宮外宮を勧請して大同2年(807)に創建したといいます。坂上田村麻呂に同行した神主の社家が代々祭祀を務め、明治維新後には郷社に列格していました。

「岩手県神社名鑑」による大宮神社の由緒

大同二年(八〇七)九月十六日創建。往古坂上田村麻呂が、高丸為御退治の際にここに(当社鎮座地)陣地を構え、そして賊を滅ぼす。その折に伊勢内外両宮御勧請の由である。(「岩手県神社名鑑」より)

啓だ掲示による大宮神社の由緒

大宮神社は、延暦年間、滝沢郷の高丸(アテルイ一族)という蝦夷の頭領が朝廷に従わず、反乱を起こした。朝廷は坂上田村麻呂を、征夷大将軍に任じ、節刀を賜り奥州に下向し、中野郷渋谷(現在本宮字大宮)で戦うが、高丸の勢力強大で征する事が出来なかった。一時帰朝し、伊勢神宮に朝廷を通じて奉幣し、平定祈願した際に天皇の勅命により神宮の御分霊を賜り、神主鈴木母多里麻呂藤原正純(鈴木神主主祖)並びに、藤村淡路守藤原重勝(幣堂家)、共に奉納じて坂上田村麻呂と下向した。
外宮の御分霊が大宮神社の御祭神です。
大宮神社は、大宮神社に奉納する神楽であり、坂上田村麻呂に同行した神主の社家が受け継いできました。
天保9年(1838年)の神楽本にある18演目のうち16演目が舞われています。また、「南部叢書」や神社に保存されtれいる文献には、慶長16年(1607年)に中津川に橋が架けられ、その渡りはじめの際、獅子舞と神楽が奉納されたことや、盛岡城烏帽子岩を3度回り悪魔退散の祈願を行ったと残されています。
大宮神楽は大宮神社のほか、市内の神社例大祭あるいは、地域の御祝い事の時にも奉納されています。(境内掲示より)


大宮神社所蔵の文化財

  • 多賀神楽絵額(十二面)(盛岡市指定文化財)
  • 大宮神社の鰐口(盛岡市指定文化財)
  • 大宮神社のモミ一本(盛岡市指定天然記念物)

多賀神楽絵額(十二面)

神道に熱心であった南部利敬公(三十六代)は、それまで地神楽であった多賀神楽に江戸風の神楽舞の導入を図り、文化三年(一八〇六)多賀明神の神楽社人三名を一年間江戸に留学させ江戸神楽を学ばせた。これが多賀神楽江戸舞と呼ばれたものである。
この絵額はそれを記念して奉納したものであろう。
製作年代は文化五年(一八〇八)で各演目の代表的場面が描かれている。保存状況も良好で民俗芸能を伝える作品として貴重な資料である。(盛岡市教育委員会掲示より)

大宮神社の鰐口

円形の青銅製。径縁が三六・三cm、厚さ一五・〇cm
縁部の高さ一〇・二cmあり、表の銘帯に「奥州岩手郡中野郷大宮鐘願主田村俊宅敬白、応永十二年乙酉十二月吉日」(一四〇五)の銘文がある。
盛岡市内では最古の紀年で鰐口の大きさ、立派さは天台寺の正平十八年(一三六三)の鰐口に次ぐものであろう。(盛岡市教育委員会掲示より)

大宮神社の周辺図


参考資料

  • 「岩手県神社名鑑」