榊山稲荷神社。名勝庭園「緑風苑」に再興された「もりおか開運神社」
榊山稲荷神社の概要
榊山稲荷神社は、盛岡市北山にある神社です。榊山稲荷神社は、盛岡城内に盛岡の守護神として慶長2年(1597)に創祀、「もりおか開運神社」と称されて崇敬されたといいます。明治維新後に廃社とされたものの、昭和初期に入り当地に再興しています。境内の金殖神社は、中の橋通に「斗米稲荷」と称して祀られていた社で、昭和初期まで岩手銀行の守護神と祀られ、昭和33年に遷座したといいます。
社号 | 榊山稲荷神社 |
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祭神 | 豊受之大神 |
相殿 | - |
境内社 | 金殖神社、淡嶋明神社、天祖霊社、旭龍神社、飛八幡社、船玉社 |
祭日 | 4月28日 |
住所 | 盛岡市北山2-12-12 |
備考 | - |
- 榊山稲荷神社神門
- 榊山稲荷神社鳥居
- 榊山稲荷神社社殿
- 榊山稲荷神社神楽殿
- 榊山稲荷神社神輿舎
- 境内社菅原稲荷社
- 境内社淡嶋明神社
- 境内社金殖神社
- 境内社天祖霊社
- 境内社旭龍神社
- 境内社八幡社
- 境内緑風苑
- 淡嶋社内のこんせい様
- 六光石
榊山稲荷神社の由緒
榊山稲荷神社は、盛岡城内に盛岡の守護神として慶長2年(1597)に創祀、「もりおか開運神社」と称されて崇敬されたといいます。明治維新後に廃社とされたものの、昭和初期に入り当地に再興しています。境内の金殖神社は、中の橋通に「斗米稲荷」と称して祀られていた社で、昭和初期まで岩手銀行の守護神と祀られ、昭和33年に遷座したといいます。
「岩手県神社名鑑」による榊山稲荷神社の由緒
当神社は、盛岡の街づくりが始まった慶長二年に、榊山稲荷大明神を盛岡の守護神として城内に祀ったことから始まります。藩政時代は、藩主から一般庶民に至るまで篤く信仰され、「もりおか開運神社」と称され崇められてまいりました。
その後、明治維新の改革により廃社となったものを、昭和の初めに先代宮司荒川清次郎氏が、現在の北山の地に再興した神社であり、今では社殿・社務所・参集殿はもとより、盛岡藩時代から由緒のある名勝庭園「緑風苑」を有し、境内は荘厳あふれる神域となっております。
当神社の特徴は、古来から開運商売の神である榊山稲荷神社を本社とし、境内には金を殖する金殖神社、子授安産の淡嶋明神社、飲食農業の旭龍神社、殖産興業の富八幡社、漁業航業航海の船玉社、先祖水子供養の天祖霊社と私達の生活全般にわたる霊験あらたかな神々が祀られている願かけ神社であります。(「岩手県神社名鑑」より)
榊山稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」