桜山神社。南部氏を祀る社、旧県社、烏帽子岩
桜山神社の概要
桜山神社は、盛岡市内丸にある神社です。桜山神社は、南部藩三十三代利視公が二十六代藩主信直公を勧請して寛延2年(1749)に創建、文化9年(1812)には地名より桜山神社と称したといいます。文化15年(1818)には藩祖光行公を合祀、明治14年には県社に列格しています。明治33年当地に遷座、大正元年(1912)には二十七代利直公、三十六代利敬公を合祀しています。
社号 | 桜山神社 |
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祭神 | 南部光行公、南部信直公、南部利直公、南部利敬公 |
相殿 | - |
境内社 | 南部稲荷社 |
祭日 | 5月26日 |
住所 | 盛岡市内丸1-42 |
備考 | - |
桜山神社の由緒
桜山神社は、南部藩三十三代利視公が二十六代藩主信直公を勧請して寛延2年(1749)に創建、文化9年(1812)には地名より桜山神社と称したといいます。文化15年(1818)には藩祖光行公を合祀、明治14年には県社に列格しています。明治33年当地に遷座、大正元年(1912)には二十七代利直公、三十六代利敬公を合祀しています。
「岩手県神社名鑑」による桜山神社の由緒
当社は、南部藩三十三代利視公の寛延二年(一七四九)九月、二十六代の藩主信直公の御神霊を勧請して、淡路丸大明神と尊崇し奉ったのに始まる。
次いで文化十五年(一八一八)四月、藩祖光行公を、また大正元年(一九一二)十月には二十七代利直公、三十六代利敬公の御尊霊を合祀して永く郷土守護の神と崇め奉った。利直公は信直公の長子で父君の遺志を継いで盛岡城の完成と盛岡の町造りを成し遂げ、盛岡市今日の基礎を築いた英王であり、利敬公は朝命を奉じて北海道の警備に従我、その功によって明治四十一年(一九〇八)従三位追贈の恩命に浴された名君である。文化九年(一八一二)旧地の名に因んで櫻山神社と改称した。明治十四年(一八八一)一月県社に列格し、次いで明治三十三年(一九〇〇)十月、現在地に奉遷鎮座された。(「岩手県神社名鑑」より)
桜山神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」