下太田八幡神社。盛岡市下太田の神社

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下太田八幡神社。源頼義・義家父子が勧請

下太田八幡神社の概要

下太田八幡神社は、盛岡市下太田にある神社です。下太田八幡神社は、源頼義・義家が天喜5年(1057)に安倍頼時と合戦、康平(1065)に際安倍貞任と合戦するに際して当地に布陣、八幡宮を勧請して創建したといいます。

下太田八幡神社
下太田八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 神馬殿(宇気母智能神)
祭日 8月15日
住所 盛岡市下太田林崎29-1
備考 -



下太田八幡神社の由緒

下太田八幡神社は、源頼義・義家が天喜5年(1057)に安倍頼時と合戦、康平(1065)に際安倍貞任と合戦するに際して当地に布陣、八幡宮を勧請して創建したといいます。

「岩手県神社名鑑」による下太田八幡神社の由緒

この地は方八丁の古戦場跡であった。天喜五年(一〇五七)源義家が奥州征討の命を得、この時安倍貞任が厨川の柵におり、義家この地に対陣し、その兜に蔵する八幡宮を祭祀し士気を鼓舞せし古戦場であった。
宝暦五年(一七五五)、宝暦十四年(一七六四)、安永五年(一七七六)、寛政三年(一七九一)、弘化四年(一八四七)、安政二年(一八五五)の棟札が現存する。(「岩手県神社名鑑」より)

「岩手県神社名鑑」による下太田八幡神社の由緒

下太田八幡神社由緒
当社八幡社は旧飯岡通り下太田村林崎に鎮座し、この地は方八丁の古戦場跡でもあり、天喜五年(一〇五七)源頼義・義家父子が安倍頼時を誅し康平五年(一〇六五)八月十六日卯刻(午前六時)安倍貞任と厨川の柵にて交戦し翌日十七日巳刻(午前十時)村落に入りて屋舎を壊し運び隍に鎮め又萱草を刈り之を河岸に積みなして山の如く将軍午を下り皇城を拝し、今天威雅に新たに太風となりて、老臣の忠を助け受るべく、伏して八幡三所に乞いければ、風出でて火を吹き彼の柵を焼き勝利する。義家その兜に蔵する八幡宮をこの地に祭祀し兵士を鼓舞した地である。
陸奥話記ヨリ(境内掲示より)


下太田八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「岩手県神社名鑑」