盛岡住吉神社。陸奥守源頼義公が、厨川に康平年間創建
盛岡住吉神社の概要
盛岡住吉神社は、盛岡市住吉町にある神社です。盛岡住吉神社は、安倍貞任討伐の勅命を受けた陸奥守源頼義公が、厨川に康平年間(1058-1064)創建、寛政7年(1795)当地へ遷座したといいます。
社号 | 住吉神社 |
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祭神 | 上筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月14日 |
住所 | 盛岡市住吉町9-1 |
備考 | - |
盛岡住吉神社の由緒
盛岡住吉神社は、安倍貞任討伐の勅命を受けた陸奥守源頼義公が、厨川に康平年間(1058-1064)創建、寛政7年(1795)当地へ遷座したといいます。
「岩手県神社名鑑」による盛岡住吉神社の由緒
康平年間(一〇五八〜一〇六五)陸奥守源義家公が安倍貞任征伐の折、大阪住吉神社より岩手郡厨川村住吉に勧請し、海上安全・地方鎮守の郷土守護神として尊崇したが、その後、南部氏盛岡に居城されてより三十三代利視公は信仰篤く、現在の地を社地として寄進し、社殿を造営して明治維新に至るまで藩公の崇敬が続けられた。(「岩手県神社名鑑」より)
境内掲示による盛岡住吉神社の由緒
御由緒
当神社は今からおよそ九〇〇年前、康平年間陸奥守源頼義公が安倍貞任討伐の勅命を受け、大阪住吉大社の御祭神底筒男命、中筒男命、上筒男命、神功皇后、御四柱の御神霊を勧請せられ当時の岩手郡厨川住吉の地に南部領内随一の住吉神社として奉祀せられた。以来地方民の信仰篤く歴代南部藩主も亦、殊の外崇敬せられ社地を御寄進、社殿を御造営し、寛政七年(西暦一七九五年)現在の地(住吉町)に遷座申し、今日に至った。海上守護、浄化の神、交通安全、商売繁昌、安産の神として「住吉さん」の愛称を以て市民大衆に親しまれております。
今日二千坪の広大な境内に繁る欅の大木や、端麗精巧な四対八基の石灯籠は叙情の由緒を雄弁に物語っており、近年は霊験あらたかなりとて特に会社の繁栄祈願、交通安全、厄払いの祈願が多く行われております。(住吉神社社務所掲示より)
盛岡住吉神社所蔵の文化財
- 住吉神社の石灯籠(四座四対)八基
住吉神社の石灯籠(四座四対)八基
住吉神社は寛政七年(一七九五)五月二十日、下厨川村から当所に遷座された神社で、石灯籠は遷宮九年後の文化元年(一八〇四)から八年かけて四座四対の計八基が奉献設置された。側面参道向き部分には「海上安全」の刻字があり、住吉信仰に基づく航海安全の祈願崇敬によって奉献されたものであることがわかる。願主は「大坂問屋中」とあり、盛岡城下の豪商近江屋・渋屋をはじめ、領内各地及び上方と広域な経済交易に関係した人々によって寄進奉納された。
石灯籠は全て花崗岩製で、昭和三十四年の市道新設にともなう社殿と参道の移動により、北側へ十二メートル平行移動して現在地へ移設されたが、ほぼ奉納創建時と同じ配置で復元されている。
江戸時代後期の盛岡城下に置ける経済流通史及び、地方文化の特徴を如実に物語る貴重な石造記念物である。(盛岡市教育委員会掲示より)
盛岡住吉神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」