高松神社。庚申信仰の社
高松神社の概要
高松神社は、盛岡市高松にある神社です。高松神社は、寺町(花屋町)の商人三郎兵衛・三太夫が発願し、庚申信仰の場として寛永2年(1625)に創建したといいます。明治維新後、猿田彦神を祭神とし、高松神社と改称、村社に列格し、大正5年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
社号 | 高松神社 |
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祭神 | 猿田毘古命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 6月17日 |
住所 | 盛岡市高松3-5-2 |
備考 | - |
高松神社の由緒
高松神社は、寺町(花屋町)の商人三郎兵衛・三太夫が発願し、庚申信仰の場として寛永2年(1625)に創建したといいます。明治維新後、猿田彦神を祭神とし、高松神社と改称、村社に列格し、大正5年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
「岩手県神社名鑑」による高松神社の由緒
寛永年中(一六二四-一六四四)、寺町三郎兵衛三太夫という信徒が寄り合い建立した社であると伝えられている。
大正五年(一九一六)五月、供進社に指定される。(「岩手県神社名鑑」より)
境内掲示による高松神社の由緒
高松神社の由来
高松神社は、古く藩政時代(江戸時代)から「お庚申さん」として、上田一円(三戸町から黒石野に及ぶ)の人々に崇められ、親しまれて来たお社です。
「高松神社記」によれば、寛永二年(一六二五年)寺町(花屋町)の商人三郎兵衛・三太夫が発願し、有志崇敬者によって建立された「社」だとされています。
高松神社境内には、二基の「庚申碑」が現存しています。一つは明和元年(一七六四年=黒石野村住民八名連名)のものであり、今一つは、文政四年(一八二一年=三戸町住民七名連名)のものであり、高松神社が「庚申信仰」に由来する古いものである事を示しています。
「庚申信仰」は、中国道教に渕源を持ち、「藩政時代(江戸時代)」に入って、広く庶民の間に広まったものです。「修験道」との関連が深く、神仏混淆の信仰であり、神として「猿田彦命」を、仏として「青面金剛」を祀り崇めて来ています。
高松神社拝殿には、「古い奉納額」として、「猿田彦命」=「導きの神=道の神」へ「旅の安全」を祈願した「草鞋」の額があります。
又、「青面金剛」の象徴である「宝剣」の額もあり、日本古来からの「神仏混淆」の信仰でありました。
明治時代に入り「神仏分離令」が施行され「お庚申さん」は神格を強調し「高松神社」となりました。「高松」の地名は、この「高松神社」に因んで呼ばれるようになったものです。
このような由来から、高松神社の祭神は、「猿田彦命」であり、その神徳は「多岐宏遠」です。「猿田彦命」は、「記紀」(古事記・日本書紀)以来「導きの神」「土地の神・長寿の神」として、この土地の庶民からも崇敬されて来ています。
又、特異なものとして、「馬の守り神」ともされており、裏参道脇に「馬頭観音碑」が残されています。
高松神社は、こうした由来と「猿田彦命」のご神徳から、古くから上田地域全体の人々から、崇敬・敬愛されて来ており、例大祭は、毎年六月一七日に開催されて来ています。この地域の「由緒ある神社」です。(境内掲示より)
高松神社の周辺図
参考資料
- 「岩手県神社名鑑」