源勝寺。岩手県盛岡市北山にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる首都圏外寺社案内

源勝寺。岩手県盛岡市北山にある曹洞宗寺院

源勝寺の概要

曹洞宗寺院の源勝寺は、圓峰山と号します。源勝寺は、静岡県雲林寺四世劫外長現大和尚が、斯波氏の帰依を得て志和郡土舘村の天台宗源勝寺を曹洞宗に改めて享徳3年(1454)開山、斯波氏の菩提寺だったといいます。南部氏による盛岡城整備に伴い、慶長年間(1596-1615)当地へ移転、元和2年(1616)には寺領20石を受領しています。

源勝寺
源勝寺の概要
山号 圓峰山
院号 -
寺号 源勝寺
住所 盛岡市北山1-13-5
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



源勝寺の縁起

源勝寺は、静岡県雲林寺四世劫外長現大和尚が、斯波氏の帰依を得て志和郡土舘村の天台宗源勝寺を曹洞宗に改めて享徳3年(1454)開山、斯波氏の菩提寺だったといいます。南部氏による盛岡城整備に伴い、慶長年間(1596-1615)当地へ移転、元和2年(1616)には寺領20石を受領しています。

「盛岡の寺院」による源勝寺の縁起

当寺は元天台宗であったと伝えられている。開基は石清水氏(源勝寺殿本心定公大禅門)である。静岡県森町の竜渓山雲林寺の末寺。
本尊は釈迦牟尼仏である。檜材漆箔、寄木造りで光背裏面に「仏師刑部」の銘文がある。脇侍は迦葉尊者と阿難尊者で、共に檜材漆箔、寄木造りで台座内側に「京大仏師、須田大蔵作」の墨書銘がある、江戸時代の作と思われる。
開山は雲林寺四世劫外長現大和尚である。享徳三年(一四五四)雲林寺長現和尚が東北巡化の折、斯波氏の帰依を得て志和郡土舘村の源勝寺に入り開山となる。爾来曹洞宗となり、斯波氏及び石清水氏の菩提所となった。
九世天室清耽和尚は、三戸の出身で南部信直公と親交があった。斯波氏没落の後、天正十九年(一五九一)田千刈の寺領を賜っている。さらに、十世天岩雲尭和尚の代の元和二年(一六一六)に南部利直公より寺領二十石を賜っている。共に墨印状が現存している。
利直公が盛岡城下の建設にあたって、地方の寺院を城下に移転させ、文化の向上を図ったが、当寺も命によって盛岡城下の名須川光台寺隣接の地に移転した。その後、寛文三年(一六六三)南部家源秀院殿の御霊屋造立のため引料として米百駄を賜って北山の地に移転し、現在に至っている。(「盛岡の寺院」より)

「紫波町史」による源勝寺の縁起

稲荷山源勝寺(曹洞宗)
「盛岡砂子」によると、享徳三年(一四五四)に遠州中田(静岡県周知郡森町)の雲林寺住職長現和尚が志和郡土館村に一寺を建立して稲荷山源抄寺と号したといい、斯波氏代々の菩提寺であったと伝えている。斯波郡に源勝寺と称する寺院のあったことは、旧記の多くが伝えるところであるが、その所在地については、土館説の外に、初め岩清水(矢巾町大字岩清水)にあって後に上松本に移転したとする説があった。しかし源勝寺の自作地が土館村にあったことは、天正十九年十月四日の信直黒印状や元和二年六月二十二日の利直黒印状によって明白であるから、やはり土館説に従うべきであろう。土館字関沢の源勝寺館又は寺館と称されている地がそれであったと思われる。また、同寺については、延文年中に斯波氏に従って下向したという所伝もあるが、それ以前の創建とみられる新山寺や大荘厳寺についても同様の伝えがあるから、にわかには信じがたい。おそらく、三ヶ寺とも斯波氏の強力な保護を受けたところから生じた誤伝であろう。斯波氏の菩提寺であったとする説は、「南旧秘事記」・「御領内神社仏閣由来記」・「内史略」でも伝えている。事実とみてよかろう。同寺は、慶長年間に至って盛岡へ移転となった。(「紫波町史」より)


いいお墓

源勝寺所蔵の文化財

  • 銅造観音立像(国重要美術品)

源勝寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(盛岡市仏教会)