本正寺。岩手県盛岡市材木町にある法華宗本門流寺院

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本正寺。岩手県盛岡市材木町にある法華宗本門流寺院

本正寺の概要

法華宗本門流寺院の本正寺は、名字山と号します。本正寺は、京都本能寺・尼崎本興寺第百六世純導院日蘂上人が、鹿角市花輪本勝寺に留錫した際、盛岡から聞法に訪れた信者に堂宇建立を委嘱、明治21年に堂宇を建立し花輪本勝寺出張所として創祀したといいます。当寺12世は大本山本興寺長老に補任されたといいます。

本正寺
本正寺の概要
山号 名字山
院号 -
寺号 本正寺
住所 盛岡市材木町7-1
宗派 法華宗本門流
葬儀・墓地 -
備考 -



本正寺の縁起

本正寺は、京都本能寺・尼崎本興寺第百六世純導院日蘂上人が、鹿角市花輪本勝寺に留錫した際、盛岡から聞法に訪れた信者に堂宇建立を委嘱、明治21年に堂宇を建立し花輪本勝寺出張所として創祀したといいます。当寺12世は大本山本興寺長老に補任されたといいます。

「盛岡の寺院」による本正寺の縁起

開山・縁起
開基純導院日蘂上人(京都本能寺、尼崎本興寺、両大本山百六世)遠く華洛より陸中国花輪本勝寺に来り留錫中、南部の中心盛岡に於て、本門の道場無きを憂い、最初聞法随喜の人、佐藤喜蔵、佐藤喜久蔵、菊地清左衛門、小原惣助、栗谷川倉治、上回直吉、豊山茂三郎、井上留吉等に対して、法堂の建ん事を委嘱す。信徒少数なりと雖も、異体同心、万難を排して此の精舎を完成す。時に明治二十一年立秋、開堂の導師は寺島日諒上人なり。(参道の旧題目碑裏銘記より)
寺院沿革
草創の縁起にも記されているように、今の秋田県鹿角市花輪町と、盛岡を行商しながら花輪在住の、日蘂大僧正の法話を聞き、仲間同志へ伝えていったものと考えられ、明治時代の弘法の姿がしのばれる。当山は明治二十一年創立以来、最初花輪本勝寺出張所-本門法華宗盛岡本正教会所-法華宗本正教会-法華宗本正寺と変遷をたどり、その間無住時代も多く、歴世の在住も短期間であった。当住で十二世を数えられる次第である。現住は、住職として入山、四十七年となり、本山より中興号を授与され、平成四年秋の保護司功労による藍綬褒章受章とあわせ、平成六年四月一日付にて権大僧正に叙任、大本山本興寺長老に補任された。
当寺は俗にいう、八品派の寺院で、通称材木町の法華寺と呼ばれている。駅から一番近い所に位置し、北上川の川岸に沿って建てられているが、当寺の付近から見る岩手山の風景は、夕顔瀬橋、旭橋の朝夕の風景とともに格別なものがある。護岸の石垣は、古き良き時代の盛岡を物語っている。(「盛岡の寺院」より)


本正寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(盛岡市仏教会)