證明寺。岩手県盛岡市名須川町にある真宗大谷派寺院

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梅応山證明寺。明慶法師開基

證明寺の概要

真宗大谷派寺院の證明寺は、梅応山と号します。證明寺の創建年代等は不詳ながら、当初天台宗寺院だったのではないかとも推測され、元禄12年(1699)に明慶法師(元禄末年1704年没)が浄土真宗寺院として開基したといいます。

證明寺
證明寺の概要
山号 梅応山
院号 -
寺号 證明寺
住所 盛岡市名須川町3-15
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



證明寺の縁起

證明寺の創建年代等は不詳ながら、当初天台宗寺院だったのではないかとも推測され、元禄12年(1699)に明慶法師(元禄末年1704年没)が浄土真宗寺院として開基したといいます。

「盛岡の寺院」による證明寺の縁起

開山・縁起
開創の年時については、元禄十二年(一六九九) との言い伝えがあるが、明確な記録があるわけではない。開基は明慶法師、本山は東本願寺(真宗本廟)である。明慶法師については、その没年が「元禄十七年十二月十八日」(年表によれば元禄は十七年三月十二日までであって、元号は宝永元年が正しいと思われる) と法名軸に記されてあるのみで、その行跡等については、いくつかの言い伝えによってうかがい知ることができるだけで、一切不明である。没年よりさかのぼること数年ないし数十年前の開創ということになるわけで、今は一応、伝承の元禄十二年を開創の年時とするほかはない。
寺院沿革
元禄十二年の開創という言い伝えのほかに、当寺はかつて遠野市にあって、天台宗の寺院であったとの伝えもある。現在は真宗大谷派であるが、あるいは天台宗の僧侶であった明慶師が転宗し、それを機に盛岡に出てきたとも考えられるが、定かではない。これについては、おそらく大正時代であろうと思われるが、遠野市の職員が来寺して、遠野に「證明寺屋敷」なる地名があるが(あるいは「あったが」)、どのような関わりがあるのかを尋ねたことがあった、とのことである。
この件に関しては、その後、展開があったことは聞いていない。また近年、かつて天台宗云々を手掛かりに、天台宗の本山である中尊寺に問い合わせたことがあるが、不明とのことであった。(「盛岡の寺院」より)


證明寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(盛岡市仏教会)