大分若宮八幡神社。大分市上野町の神社

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大分若宮八幡神社。大友氏初代左近将監能直勧請

大分若宮八幡神社の概要

大分若宮八幡神社は、大分市上野町にある神社です。大分若宮八幡神社は、豊後の守護大友氏の初代左近将監能直が入国後の建久7年(1196)に相州鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して古河津留(中津留)に創建したと伝えられます。守護大友氏の崇敬厚く、領内に当社別宮を7ヶ所建立、柞原八幡宮と共に東西の二大古社として尊崇されていました。明治14年府内アクアパーク一帯の地に遷座、大正10年当地へ遷座明治維新後の社格制定に際しては県社に列格していました。

大分若宮八幡神社
大分若宮八幡神社の概要
社号 若宮八幡神社
祭神 帯中津比古命、品陀和気命、息長帯比賣命、大雀命、外神に善神王
相殿 -
境内社 大友神社、楢神社、天満社、多賀神社、錦天満社、蛭子社
祭日 春祭4月15日、例祭7月15日、秋祭10月15日
住所 大分市上野町10
備考 -



大分若宮八幡神社の由緒

大分若宮八幡神社は、豊後の守護大友氏の初代左近将監能直が入国後の建久7年(1196)に相州鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して古河津留(中津留)に創建したと伝えられます。守護大友氏の崇敬厚く、領内に当社別宮を7ヶ所建立、柞原八幡宮と共に東西の二大古社として尊崇されていました。明治14年府内アクアパーク一帯の地に遷座、大正10年当地へ遷座明治維新後の社格制定に際しては県社に列格していました。

境内掲示による大分若宮八幡神社の由緒

若宮八幡神社
豊後の守護大友氏の初代能直(よしなお)が、源氏の氏神である八幡神を鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊したと伝えられる社で、鎌倉時代から存在したことが記録されており、戦国時代には豊後府内町の主要街路沿いに建て替えられ、守護大友氏と江戸時代の府内藩主の保護を受けました。
江戸時代には藩主の娘が櫛を33枚奉納したことにちなみ、3月3日に御櫛形祭礼(おくしがたさいれい)と呼ばれる盛大なお祭りがあり、街路沿いには燈籠が並び、大神楽や能が行われていました。(境内掲示より)

境内掲示による大分若宮八幡神社の由緒

若宮八幡社由緒略記
当神社は今を去る八百有余年前人皇第八十二代後鳥羽天皇の御宇建久七年六月藤原朝臣大友能直公豊前豊後の守護職として入国のさい相州鎌倉鶴岡八幡宮の御神霊を迎へ奉り鎮守氏神として奉斎したるものなり。
爾来柞原八幡宮と共に東西の二大古社として崇敬篤く其の後大友氏に次ぎ早川氏福原氏日根野氏大給氏等国主の移封あり史と雖も何れも府内鎮守の神として崇敬し世々天下泰平五穀豊穣祈願し奉れり
豊後七社
豊後の国七社の若宮八幡社は長慶天皇の御宇、大友親世が七ヶ所に当若宮八幡社の御分霊を別宮として建て神領を献し神宝を調進し奉りし社なり
社地移転
当神社は豊府内城外古加鶴より建仁元年社地を府中に移し明治十四年六月府内町今の府内アクアパーク一帯の宮地に遷座し、大正十年七月旧社地の西側、現在地に遷宮し奉る (境内掲示より)

「大分市史」による大分若宮八幡神社の由緒

若宮八幡宮址
東新町より南に國道筋に近く其址あり、社記に曰、建久年中(或云七年三月十日)大友左近将監能久入國の後、氏の神たるを以て相州鎌倉鶴岡八幡宮を當國の七社に勸請する所の随一なり(七社名略)
又云、當社昔の宮所は古河津留(中津留)にして九月九日祭祀には笠和邑の海邊入江の處本社より四丁西に遷幸屋形(今の長濱神社の邊)飾馬を出し、御名代として大身の歴々供奉す、古河津留の地水災多し依て今の地に移したるなり。
天正七年宮司高山和泉守平直貞新に洪鐘を鑄同十年神殿再營、天文二年大友義鑑修理を加ふ、永禄五年大友義鎮修補せり然るに天正丙戌の亂に高山宮司は社寶及洪鐘を携て親族を率ゐ舟に乗じて京師に遁れんとし佐賀關の沖中にて逆風に遭ひ覆沒溺死したりと、是を以て昔時の壮觀推して知るべし。(「大分市史」より)


大分若宮八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「大分県神社誌」 (大分縣大分市役所)