鷹居八幡神社。宇佐市大字上田の神社

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鷹居八幡神社。宇佐神宮の神霊を祀る宮殿が最初に造営された地

鷹居八幡神社の概要

鷹居八幡神社は、宇佐市大字上田にある神社です。鷹居八幡神社は、欽明天皇29年(571)に応神天皇の御神霊が宇佐の亀山(小椋山)に出現、小椋山に宇佐神宮として祀られる前に、当地鷹居山に和銅3年(710)社殿が造営されたといいます。その後神霊は小山田を経て小倉山に移られたものの宇佐神宮の摂社として祀られ、明治維新後地域の鎮守として祀られるようになったといいます。

鷹居八幡神社
鷹居八幡神社の概要
社号 鷹居八幡神社
祭神 八幡大神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 宇佐市大字上田
備考 旧県社



鷹居八幡神社の由緒

鷹居八幡神社は、欽明天皇29年(571)に応神天皇の御神霊が宇佐の亀山(小椋山)に出現、小椋山に宇佐神宮として祀られる前に、当地鷹居山に和銅3年(710)社殿が造営されたといいます。その後神霊は小山田を経て小倉山に移られたものの宇佐神宮の摂社として祀られ、明治維新後地域の鎮守として祀られるようになったといいます。

境内掲示による鷹居八幡神社の由緒

由緒
応神天皇の神霊は元明天皇和銅三年(七一〇)の御出現で御仲哀天皇御女神功皇后の神霊は後に合わせ祭る、とある。応神天皇の御神霊を八幡大神と称し奉るは、人皇三十代欽明天皇の御宇二九年(五六八)豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山・菱形山)の麓に三才の小児とあらわれ「吾れは応神天皇の御霊広幡八幡麻呂なり」と大神比義に諭された。
その後神殿を造営するにあたり、人皇四三代元明天皇和銅三年(七一〇)この鷹居山に、三才の小児が鷹となって飛来し、再度大神比義に諭された。
比義は朝廷に社殿のご造営を奏され、ここに八幡大神の神霊を祀る最初の霊地「やしろ」が造営された。霊亀二年(七一六)この官道(国道)は人の往来が激しいので小山田の林に移りたいとの託宣により、小山田社に移祀され、またこの小山田社も境内がせまいので小椋山に移りたいとして神亀二年(七二五)現在の宇佐神宮へ移祀された。以後この鷹居社・小山田社の二社は、江戸末期まで宇佐神宮の摂社として存続したが、明治維新以後各神社は地域住民の鎮守のヤシロとされた。(境内掲示より)


鷹居八幡神社の周辺図