瓜生山威徳寺。大友義正が瓜生島に創建
威徳寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の威徳寺は、瓜生山と号します。威徳寺は、守護大名大友氏の一族大友義正が瓜生島に庵室義正坊を営んでいたところ、蓮如上人に明応6年(1497)帰依し、真言宗から浄土真宗に改めたといいます。文禄5年(1596)の地震津波により瓜生島が陥没してしまったことから勢家に移って再建、寛永6年(1629)本山より寺号を拝領し威徳寺と号したといいます。
山号 | 瓜生山 |
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院号 | - |
寺号 | 威徳寺 |
住所 | 大分市勢家町2-1-42 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
威徳寺の縁起
威徳寺は、守護大名大友氏の一族大友義正が瓜生島に庵室義正坊を営んでいたところ、蓮如上人に明応6年(1497)帰依し、真言宗から浄土真宗に改めたといいます。文禄5年(1596)の地震津波により瓜生島が陥没してしまったことから勢家に移って再建、寛永6年(1629)本山より寺号を拝領し威徳寺と号したといいます。
「大分市史」による威徳寺の縁起
威徳寺(瓜生山)
濱町にありて眞宗西本願寺派に屬すもと瓜生島にありたり、大友第十九代義長の時一族に義正と云ふものありて深く眞言に歸依し一宇の道場を瓜生島に營みたり名付けて義正坊と云ふ、(瓜生島の圖参照)。明應六年義正畿内に赴きて蓮如上人に謁し本願圓頓の奥義を受得す、時に上人賜ふに六字の名號を以てす、義正歸國の後本尊を改て浄土眞宗に轉す、五世周安の時文禄五丙申年閏七月十二日(文禄五年十一月廿七日改元して慶長とす)地震起り津浪襲ひ来り瓜生島陥沒し勢家に移り一宇の寺院を再建したるが、寛永六年本山より木佛並に寺院を威徳と賜はりたり、本堂の正面に方り一株の老松盤根龍の蟠るが如く幹の太さ一丈五尺、蓊梢勃然として八方に延ぶ者恰、然長蛇の奔るが如く、蒼翠鬱として全境を覆ひ、東西十五間南北二十間廣さ一反歩ばかり、眞に天下の壮観たり、樹下碑を立て、松平不騫、同千丈の句を刻す。
松風や千代色かへぬ法の聲 不騫
松ともに尽きぬ榮や法の道 千丈(「大分市史」より)
威徳寺の周辺図
参考資料
- 「大分市史」(大分縣大分市役所)