廣度山西應寺。僧菴甫が開基
西應寺の概要
浄土宗寺院の西應寺は、廣度山と号します。西應寺の創建年代等は不詳ながら、西音寺と号す禅宗寺院だったものの、慶長元年(1596)の地震津波により倒壊、僧菴甫が当地付近に結んだ庵室を、浄土寺4世馨譽が西王寺と名付けて慶長4年(1599)再建、寛永15年(1638)西應寺と改めたといいます。
山号 | 廣度山 |
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院号 | - |
寺号 | 西應寺 |
住所 | 大分市勢家町1-1-26 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西應寺の縁起
西應寺の創建年代等は不詳ながら、西音寺と号す禅宗寺院だったものの、慶長元年(1596)の地震津波により倒壊、僧菴甫が当地付近に結んだ庵室を、浄土寺4世馨譽が西王寺と名付けて慶長4年(1599)再建、寛永15年(1638)西應寺と改めたといいます。
「大分市史」による西應寺の縁起
西應寺(廣度山)
勢家に在り、浄土宗鎮西派にして始めは西音寺と云へる禅宗の支院にして開基詳ならず、慶長元年の地震津浪に殿宇傾壊して廢寺となりしを菴甫と云ふ僧ありて小庵を結び住めり是より此横小路を安甫の小路を呼べり。慶長四年浄土寺の四世馨譽再建して菴甫を以て住侶とし西王寺と名け其後寛永十五年西應寺と改めたり。(「大分市史」より)
西應寺の周辺図
参考資料
- 「大分市史」(大分縣大分市役所)