宇佐宮大楽寺。後醍醐天皇の勅願寺・宇佐神宮大宮司到津家菩提寺
大楽寺の概要
高野山真言宗寺院の大楽寺は、宇佐宮と号します。大楽寺は、元弘3年(1333)に道密上人を開山、大宮司到津公連を開基として創建、境内には歴代大宮司の位牌・墓地が守られているといいます。翌年には後醍醐天皇の勅願寺に定められていました。本尊の弥勒仏像をはじめとして数多くの文化財を有し、九州八十八ヶ所108霊場22番・九州西国観音霊場4番・宇佐七福神の布袋尊となっています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 大楽寺 |
住所 | 宇佐市大字南宇佐2220 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大楽寺の縁起
大楽寺は、元弘3年(1333)に道密上人を開山、大宮司到津公連を開基として創建、境内には歴代大宮司の位牌・墓地が守られているといいます。翌年には後醍醐天皇の勅願寺に定められていました。
境内掲示による大楽寺の縁起
当山は、弘法大師(空海)を開祖とする高野山真言宗のお寺です。
一三三三年、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として建立されました。お堂には歴代大宮司の位牌が祀られ、裏山にはその墓地が有ります。
国指定重文の本尊弥勒仏三尊像、四天王像七躰を始めとして県下有数の文化財護持寺院として知られています。
また、九州西国三十三番観音霊場の四番札所、九州八十八ヶ所霊場の二十二番札所となっており、昭和初期には有名な俳人、種田山頭火も巡拝に訪れています。(境内掲示より)
宇佐市教育委員会掲示による大楽寺の縁起
元弘三年(一三三三)に後醍醐天皇の勅願寺として、道密上人を開山、大宮司到津公連を開基として創建されました。当初は真言律宗西大寺の末寺でした。到津家の菩提寺であり、国指定重要文化財の弥勒仏・脇侍仏・四天王像をはじめとする多くの文化財が伝えられています。(宇佐市教育委員会掲示より)
「宇佐神宮周辺マップ」掲示による大楽寺の縁起
高野山真言宗。宇佐宮大宮司の到津氏が1333年に到津家の菩提寺と後醍醐天皇の勅願寺として創建。本堂には弥勒仏・脇侍・四天王の諸像が7体揃って安置され、全てが国重要文化財に指定されているのはこのお寺だけです。(「宇佐神宮周辺マップ」掲示より)
大楽寺所蔵の文化財
- 本尊弥勒仏坐像 半丈六仏(国指定重要文化財)
- 脇待 大妙相菩薩立像(国指定重要文化財)
- 脇待 法苑林菩薩立像(国指定重要文化財)
- 四天王像立像 四躯(国指定重要文化財)
- 鬼面五鈷杵(鎌倉時代)(県指定有形文化財)
- 梵鐘(県指定有形文化財)
- 大楽寺文書(鎌倉期〜室町時代)(市指定有形文化財)
- 舎利容器(室町時代)(市指定有形文化財)
- 聖観音菩薩立像(南北朝時代)(市指定有形文化財)
本尊弥勒仏および脇侍仏
本尊弥勒仏坐像 半丈六仏
脇待 大妙相菩薩立像
脇待 法苑林菩薩立像
四天王像立像 四躯
弥勒菩薩が五十六億七千万年後に悟りを開いた御姿を表す。弥勒仏の三尊像は、極めて類例が少ない。
右七躯は、檜材寄木造で平安後期の定朝系仏師による製作であり、寺伝によると当寺創建に伴い江須賀にあった旧大楽寺より移座したという。(境内掲示より)
如意輪観世音菩薩
持仏堂
宇佐神宮大宮司到津家歴代(正面右)並びに檀信徒の霊位が祀られているお堂です。ご本尊は、如意輪観世音菩薩です。春日仏師の作で、平重盛の守り本尊。七一三年に仁聞菩薩によって開創された日本最古の霊場、九州西国三十三番観音霊場の四番札所の本尊ともなっています。(境内掲示より)
大楽寺の周辺図
参考資料
- 公式ページ:厄除け祈願の寺 高野山真言宗 八幡宇佐宮 大楽寺