足利織姫神社。足利市西宮町の神社

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足利織姫神社。足利機織の守護神、平等院鳳凰堂を模した鉄筋コンクリート造りの社殿

足利織姫神社の概要

足利織姫神社は、足利市西宮町にある神社です。足利織姫神社は、宝永2年(1705)に天八千々姫命・天御鉾命の二柱の神を足利機織の守護神と仰いで勧請、足利町四丁目に鎮座していた八雲神社に合殿として祀られていたといいます。明治12年当地へ改めて遷宮したものの翌年焼失、昭和12年に平等院鳳凰堂をモデルにした鉄筋コンクリート造りの社殿を再建、社殿は国有形文化財に登録されています。

足利織姫神社
足利織姫神社の概要
社号 織姫神社
祭神 八千々姫命、天御鉾命
相殿 -
境内社 -
祭日 大祭5月7日
住所 足利市西宮町3889
備考 -



足利織姫神社の由緒

足利織姫神社は、宝永2年(1705)に天八千々姫命・天御鉾命の二柱の神を足利機織の守護神と仰いで勧請、足利町四丁目に鎮座していた八雲神社に合殿として祀られていたといいます。明治12年当地へ改めて遷宮したものの翌年焼失、昭和12年に平等院鳳凰堂をモデルにした鉄筋コンクリート造りの社殿を再建、社殿は国有形文化財に登録されています。

「栃木県神社誌」による足利織姫神社の由緒

織姫神社(旧無格社)
伊勢渡会井手の郷御織殿遊拝のため勧請。明治十二年八月まで、足利町四丁目八雲神社に合殿してあったが、同年同月足利町二丁目村社八雲神社合殿の御許可の上、西宮の現地へ遷宮。明治十三年九月十日、火災に躍り社殿その他一切を焼失。昭和三年十二月足利織姫神社奉賛会を組織し、社殿の建築、その他の施設物の設備を完了し、昭和十三年五月七日遷座。昭和三一十一年十一月三日、足利県立公園が発足し、境内一円もその中に含まれている。(「栃木県神社誌」より)

環境省・栃木県掲示による足利織姫神社の由緒

足利織姫神社
歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神として、宝永2年(1705)に天八千々姫命・天御鉾命の二柱の神を勧請しました。明治12年に社殿が建立されましたが、翌年火災で焼失してしまいました。昭和9年春に新社殿建立に着手し、昭和12年に現在の社殿が完成しました。朱塗りの社殿は緑に映えて美しく、足利のシンボルであり、平成16年には国登録有形文化財に登録されています。産業振興と縁結びの神社として、足利市民はもとより、全国から参詣者が訪れています。(環境省・栃木県掲示より)

「足利市史」による足利織姫神社の由緒

織姫神社(無格社)西宮町
本市西宮町俗稱機紳山の中腹に在り。祭神は八千々姫命天御鉾命にして、足利機織の守護神と仰ぐ。伊勢國渡會郡井手ノ郷御織殿遥拝のため勧請す。但其の年月を詳にせず。明治十二年八月まで、足利町四丁目八雲神社合殿なり。同年同月、二丁目村社八雲神社へ合殿許可の上、更に現地に遷宮す。社殿、間口二間三尺・奥行三間三尺、拝殿と共に、土蔵造なりしが、明治十三年九月十日、炎上焼失す、爾来、機業家中に於て、數度に亘り、再築を計劃せつも、未だ實現するに至らず、僅に鳥居・石段のみ造營せられ、社殿は、假殿(間口二間三尺・奥行三間)のまゝ、今日に至る。境内、三百九十坪あり。祭日は、八月十日。現社掌は、日下部幸俊なり。(「足利市史」より)


足利織姫神社所蔵の文化財

  • 織姫神社社殿・神楽殿・社務所・手水舎(国登録有形文化財)

織姫神社社殿・神楽殿・社務所・手水舎

織姫神社は社殿によれば、宝永2年(1705)戸田忠利が足利藩主としてこの地に来た時に土民が創建した神社で、機織の守護神として「天八千々姫命」「天御鉾命」の二神をお祀りしています。
現在の社殿は、明治13年(1880)に焼失した社殿を昭和12年(1937)に再建したもので、中央に拝殿、その両側に翼廊を配し、拝殿と翼廊を歩楼で結ぶ形は、日本古来の寝殿造建築である平等院鳳凰堂をモデルにしたといわれています。当時の神社建築は木造が主流でしたが、設計者である小林福太郎は、当時珍しい鉄筋コンクリートを用いて木造建築の意匠を再現しました。朱色に塗装された建物が、織姫山の山並みの緑と青空に映え、ひときわ鮮やかに眼に映り、美しい建築を作り上げています。
織姫神社は織物を中心とした足利の産業を信仰面から支えてきた存在であり、本市の近代化を語る上でも欠かせない貴重な文化遺産です。近年は、産業振興と縁結びの神社として多くの参拝者に崇められています。(足利市教育委員会掲示より)

足利織姫神社の周辺図


参考資料

  • 「栃木県神社誌」