韮川羽黒神社。佐野市韮川町の神社
韮川羽黒神社の概要
韮川羽黒神社は、佐野市韮川町にある神社です。韮川羽黒神社は、板橋六郎右衛門、山口重左衛門、高久五兵衛、太田帯刀の四氏が弘安4年(1281)に創建したといいます。天正16年(1588)大祓越中守武重の放火により類焼、文政6年(1823)旧に復したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
社号 | 羽黒神社 |
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祭神 | 日本武尊 |
相殿 | 武甕槌命、倉稲魂神、櫛御気命、市杵島姫命、大山祇神 |
境内社 | 雷電神社、三峯神社、稲荷神社、厳島神社 |
祭日 | - |
住所 | 佐野市韮川町466 |
備考 | - |
韮川羽黒神社の由緒
韮川羽黒神社は、板橋六郎右衛門、山口重左衛門、高久五兵衛、太田帯刀の四氏が弘安4年(1281)に創建したといいます。天正16年(1588)大祓越中守武重の放火により類焼、文政6年(1823)旧に復したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
「栃木県神社誌」による韮川羽黒神社の由緒
羽黒神社(旧村社)
日本武尊、熊野速玉の神、熊野夫須美の神、天兒屋根命、大山津見神を祀り、大祭一〇月二六日。御宇多天皇弘安四年一〇月板橋六郎右衛門、山口重左衛門、高久五兵衛、太田帯刀などの四氏これを勧請し、その後正親町天応の御宇天正一三年佐野氏の老臣大祓越中守武重主君佐野宗綱戦死(天正一三年正月元日、長尾顕長と飛駒寿花板に戦いて矢に中り討死)嗣子未だ定まらざるに乗じて逆意を逞うし(北条氏に通じ)またことによりて泉応院住職梅雲和尚を悪み、同一六年正月一八日夜火を放し同院を焼き梅雲を殺さんとした。その余炎同社に飛火し神殿その他境内の建物ことごとく烏有に帰した。慶長二年九月仮に石を以て小祠を建て、享保一二年旗本千村平八郎が神田を寄付した。また板橋六郎右衛門は祭祀料として水田を寄付した。文政六年二月に本社並びに、拝殿の再建工事全くなりようやく旧観を復し、境内に摂社稲荷神社、厳島神社、熊野神社、鹿島神社、山神社を祭祀。大正八年拝殿を建築、郷民の崇敬ますます高く修理祭祀の礼を怠らず以て敬神の道をつくすという。当社故村社羽黒神社明治三九年勅令九六号により幣帛神饌料供進神社に指定せらる。(「栃木県神社誌」より)
韮川羽黒神社の周辺図
参考資料
- 「栃木県神社誌」