春日岡山惣宗寺。佐野厄よけ大師、鎮守府将軍藤原秀郷開基
惣宗寺の概要
天台宗寺院の惣宗寺は、春日岡山転法輪院と号し、佐野厄よけ大師として著名です。惣宗寺は、鎮守府将軍藤原秀郷が本願開基となり、宥尊上人が天慶年間(938-947)に春日山に開創、鎌倉時代には伏見天皇の勅願寺となっていたといいます。江戸時代に佐野藩主佐野修理大夫信吉が、居城を唐澤山から春日山へ移した際に、当寺は当地へ移転しています。また徳川家康逝去にあたり、遺骸が駿府から日光へ移送する際、当寺に一晩留まったことから、文政11年(1829)に東照宮が建立されています。また、銅山鉱毒事件で奔走した田中正造は当寺で本葬儀が執り行われ、墓所の一つとなっています。
山号 | 春日岡山 |
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院号 | 転法輪院 |
寺号 | 惣宗寺 |
本尊 | - |
住所 | 佐野市金井上町2253 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
惣宗寺の縁起
惣宗寺は、鎮守府将軍藤原秀郷が本願開基となり、宥尊上人が天慶年間(938-947)に春日山に開創、鎌倉時代には伏見天皇の勅願寺となっていたといいます。江戸時代に佐野藩主佐野修理大夫信吉が、居城を唐澤山から春日山へ移した際に、当寺は当地へ移転しています。また徳川家康逝去にあたり、遺骸が駿府から日光へ移送する際、当寺に一晩留まったことから、文政11年(1829)に東照宮が建立されています。また、銅山鉱毒事件で奔走した田中正造は当寺で本葬儀が執り行われ、墓所の一つとなっています。
「安蘇郡誌」による惣宗寺の縁起
春日岡山總宗寺
佐野町字金澤町に在り、本願開基は、鎮守府将軍藤原秀郷、開山は宥尊上人にして、天慶年間の草創に係る、伏見天皇の勅願寺と爲り、轉法輪院の號を賜はる、春日岡山は曾て現今の公園地に在りしが、佐野修理大夫信吉、唐澤山の居城を廢せられし時、春日山に築城せしが故に、總宗寺は現在の地に移され、斯くて寺塔を改建せり、正門は、舊山より移されし舊形のまま、鎮守春日神社は、秀郷の勧請にして、共に遷座し来る、東照宮は、徳川家康の遺骸を、日光山に改葬する途次、一夜神與を駐められしを以て、廟重興碑あり、境内古松老杉鬱々として繁り、寺地境域頗る廣し、正門の額は島津侯の書する所。(「安蘇郡誌」より)
惣宗寺所蔵の文化財
- 總宗寺田中正造墓所
- 東照宮本殿附建築図・棟札及び保管箱(栃木県指定有形文化財)
- 東照宮拝殿1棟(栃木県指定有形文化財)
- 東照宮透塀1周(栃木県指定有形文化財)
- 東照宮唐門1棟(栃木県指定有形文化財)
總宗寺田中正造墓所
正造分骨地の一つである總宗寺墓所は、正造翁が生前自然石を酷愛せる事万人の知悉せるところにより、その心事を採酌し、大正九年六月十一日、自然石を以て正造の精神を敬仰し、その徳風を追慕し、また威風を後世に永く伝えるため、渡良瀬川流域産出の用材により建設された因縁など、郷土の先覚者正造の重要な史跡である。(佐野市教育委員会掲示より)
東照宮本殿附建築図・棟札及び保管箱
本建物は、文政11年(1829)幕命により造営完成されたものである。
残されている古図(建築図)には、文政6年(1824)幕府の大棟梁の補職平内山城藤原吉久が設計したことが示されており、工期は5年を擁したことになる。この建物の特徴は、江戸時代後期の精緻な技巧を施した装飾彫刻にある。なお建築図・棟札ともに建立年代を知る上で、貴重な資料である。(栃木県・佐野市教育委員会掲示より)
惣宗寺の周辺図