三級山近龍寺。室町時代創建、栃木城築城に伴い移転、下野三十三ヶ所観音霊場
近龍寺の概要
浄土宗寺院の近龍寺は、三級山天光院と号します。近龍寺は、浄土宗僧侶良懐上人が、宿河原(現 栃木市城内町)に「称念寺」として応永28年(1421)創建、皆川氏の栃木城築城に伴い、天正16年(1588)当地へ移転、寺号を三級山天光院近龍寺と改めたといいます。明治維新後には栃木県で最初の小学校・師範学校が当山内に開設しました。山号の「三級」は、「鯉は三級(段)の堰を登ると龍に転じて天に昇る」という故事に由来するといいます。下野三十三ヶ所観音霊場巡り二十四番札所です。
山号 | 三級山 |
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院号 | 天光院 |
寺号 | 近龍寺 |
本尊 | - |
住所 | 栃木市万町22-4 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
近龍寺の縁起
近龍寺は、浄土宗僧侶良懐上人が、宿河原(現 栃木市城内町)に「称念寺」として応永28年(1421)創建、皆川氏の栃木城築城に伴い、天正16年(1588)当地へ移転、寺号を三級山天光院近龍寺と改めたといいます。明治維新後には栃木県で最初の小学校・師範学校が当山内に開設しました。
境内掲示による近龍寺の縁起
浄土宗 近龍寺
当山は室町時代の応永二十八年(一四二一)に、浄土宗僧侶、良懐上人によって宿河原(現 栃木市城内町)に「称念寺」として創建され、その後天正十六年(一五八八)栃木城の建設計画にともない現在地に移され、名を「三級山 天光院 近龍寺」と改めました。その名は中国故事「三級飛龍~鯉は三級(段)の堰を登ると龍に転じて天に昇る」に由来します。
本堂は江戸時代の文化年間(約二百年前)建立。境内の三佛堂には、子育安産・学業成就の呑龍上人像、下野三十三ヶ所観音霊場巡り二十四番札所の聖観世音菩薩などが祀られます。
また明治の初期、栃木県で最初の小学校および師範学校が当山内に開設され、栃木県出身の文豪・山本有三のお墓もあります。(境内掲示より)
境内掲示による近龍寺の縁起
近龍寺(浄土宗)
天正年間(1573~1593)、皆川氏の栃木城築城に伴い、宿河原(現在の栃木市城内町)からこの地に移された。
境内南墓地に喜多川歌麿と親交の深かった栃木の狂歌師・通用亭徳成(本名 善野喜兵衛)の墓所がある。また、北墓地にはやはり歌麿作品「襟粧い」に狂歌を寄せている狂歌師・住吉浦近(本名 森小兵衛)の墓所がある。(「栃木市・歌麿を活かしたまちづくり協議会」掲示より)
「栃木市史」による近龍寺の縁起
浄土宗 応永二十八年(一四二一)栃木城内の宿川原に建立され、称念寺と号した。開山は良懐上人(笈然和尚)。上人は芳賀郡益子町七井の円通寺開山、良栄上人の弟子である。永禄六年皆川俊宗は、川連阿弥陀堂において法要を営んだとき、称念寺に六反四畝二〇歩を寄進したが、天正十六年(一五八八)栃木町に移転し、三級山天光院近龍寺と改めたという。(「栃木市史」より)
近龍寺の周辺図