蓮沼氷川神社|江戸期に蓮沼村字前沼に鎮座
蓮沼氷川神社の概要
蓮沼氷川神社は、板橋区蓮沼町にある氷川神社です。蓮沼氷川神社は、慶長年間(1596-1615)、蓮沼村字前沼(現在の浮間舟渡駅の西側一帯)に創建されたと伝えられます。享保年間に南蔵院とともに当地へ移転しています。明治期には村社に列格されていました。
社号 | 蓮沼氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命、奇稲田姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 板橋区蓮沼町48-4 |
備考 | 蓮沼村鎮守、村社、十度の宮、旧別当:南蔵院 |
蓮沼氷川神社の由緒
蓮沼氷川神社は、慶長年間(1596-1615)、蓮沼村字前沼(舟渡氷川神社付近)に創建されたと伝えられます。享保年間に南蔵院とともに当地へ移転しています。明治7年村社に列格、昭和7年本蓮沼字中原の稲荷神社を境内社としています。
新編武蔵風土記稿による蓮沼氷川神社の由緒
(蓮沼村)
氷川社三
一は村の鎮守、一は蓮沼・根葉二村の鎮守、共に南蔵院持、一は金剛院にて古へ村内西南の方にありしが、数度の洪水に押流され今の処に流寄こと十度なりしかば、爰に塚を築榎を植て社を移す、土人今も十度の宮とも称せり。(新編武蔵風土記稿より)
板橋区教育委員会掲示による蓮沼氷川神社の由緒
当社は古来蓮沼村の鎮守で、御祭神は須佐之男命と奇稲田姫命です。慶長年間(1596-1615)に現さいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現在の浮間舟渡駅の西側一帯)に勧請されたのが創建と伝えられています。 蓮沼村は、享保年間(1716-1736)に荒川氾濫の被害を受け、高台にある現在地に移動しました。その時に、当社も新井三郎衛門が村人とともに、前沼から現在地に移転したといいます。また、当社の別当寺であった南蔵院も、同様に移転したと伝えられています。 明治7年には村社に指定されました。 彼岸前の日曜日に行われる秋祭の際には、湯花神楽が奉納されています。(板橋区教育委員会掲示より)
十度の宮の由来について
享保9年(1724)、この水禍を避けるため、氏神と共に現地丘上に移った。神仏混交の時代、この寺(南蔵院)が別当をしていた蓮沼氷川神社を俗に「十度の宮」と呼んでいた。出水の都度流失し、社殿が移動した結果の呼称である。その後、隣寺金剛院を合併し現在に至る。(南蔵院にある板橋区教育委員会掲示より)
「いたばしの神社」による蓮沼氷川神社の由緒
慶長年間武蔵国一之宮からの勧請と伝えられる。享保十二年九月荒川大洪水に当り、村民の大部は水難を避けて本蓮沼なる高台に移住した。この時、当社も志村大字蓮沼字前沼と称する荒川、沿岸に鎮座してあったものを現在の地に遷座されたという。この宮はしばしば洪水のために、その鎮座地を移動したので俗に「十度の宮」と謂われる。新井三郎衛門なる者資材を投じてこの地に社殿をはじめて建立したと伝えられる。
旧社格は村社にて明治七年四月二日に定められた。
昭和七年三一月中原の稲荷神社が合併された。(「いたばしの神社」より)
東京都神社名鑑による蓮沼氷川神社の由緒
慶長年間(一五九六-一六一五)武蔵国一之宮から勧請と伝えられる。往昔、当社は志村大字蓮沼字前沼と称する荒川沿岸に鎮座されていた。享保十二年(一七二七)九月荒川の大洪水にあい、村民の大部分は水難を避けて、現在地の高台に移住した。その後、遷座されたという。新井三郎衛門なる人が、資材を投じて、社殿を建立したと伝えられる。昭和七年三月中原の稲荷神社が合併された。(東京都神社名鑑より)
蓮沼氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」
- 東京都神社名鑑