東熊野神社|中世末期頃に紀伊国熊野那智大社より分祠
東熊野神社の概要
東熊野神社は、板橋区前野町にある熊野神社です。東熊野神社は、中世末期頃に紀伊国熊野那智大社より分祠されたと伝えられ、江戸期には西前野神社と共に前野村の鎮守として祀られ、明治7年村社に列格していました。
社号 | 東熊野神社 |
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祭神 | 伊佐那岐命、伊佐那美命 |
相殿 | - |
境内社 | 春日社、月山社、榛名社 |
住所 | 板橋区前野町3-38-3 |
備考 | 旧前野村の鎮守、旧村社 |
東熊野神社の由緒
東熊野神社は、中世末期頃に紀伊国熊野那智大社より分祠されたと伝えられ、江戸期には西前野神社と共に前野村の鎮守として祀られ、明治7年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による東熊野神社の由緒
(前野村)
熊野社二
共に村の鎮守なり常楽院持下同じ(新編武蔵風土記稿より)
板橋区教育委員会掲示による東熊野神社の由緒
御祭神伊佐那岐命、伊佐那美命。
創建年代は不詳であるが、中世末期頃に紀伊国の熊野那智大社より勧請されたと伝えられる。旧前野村の鎮守であるが、同村には熊野神社が二社あり、東方に鎮座する当社は東熊野神社と呼ばれている。
明治2年の「社寺取調」によると、前熊野三社の内の一つで、江戸時代の寛文2年(1662)の「御水帳」に祭神は天神七代地神五代と記載されている。
境内には、春日社、月山社、榛名社が祀られているが、このうち榛名社は長徳寺(大原町40)境内にあったものが、区画整理によって昭和18年に現在地に移された。(板橋区教育委員会掲示より)
「いたばしの神社」による東熊野神社の由緒
創建年代は不詳であるが、中世末期のころ、紀州熊野那智大社より勧請されたと伝えられる。明治二年の「社寺取調下案」には江戸時代の寛文二年(一六六二)の水帳に「御祭神は天神七代地神五代」と記されている。昭和十八年古損木として伐採せる目通り一丈五尺余りの樫および当時境内に立並んでいた欅・杉・椹の老大樹の樹齢から推察し、林立する石塔に寛永(一六二四-四四)・慶安(一六四八-五二)・安永(一七七二-八一)・天明(一七八一-九)・元文(一七三六-四一)等の年号が刻されていることからみても、およそ五百年以前のものと考えられる。(「いたばしの神社」より)
東京都神社名鑑による東熊野神社の由緒
創立年月日未詳なれど中世末期の頃紀州熊野那智大社より勧請されたと伝えられる。明治二己巳年十一月の社寺取調下案河原文書によると、「前野村三社の内一村鎮守式外中熊野神社末社無御座侯祭神天神七代地神五代御除地三百坪去ル寛文二壬寅年御水帳表ニ相載申候」とある。境内物の灯籠・道祖神・庚申塔等には寛永・慶安・安永・天明・元文等の年号が見られる。旧社格は明治七年四月一日村社に定めらる。(東京都神社名鑑より)
東熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」
- 東京都神社名鑑