薬師の泉庭園|板橋区小豆沢の名所旧跡

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薬師の泉庭園|大善寺の本尊薬師如来「清水薬師」

薬師の泉庭園の概要

薬師の泉庭園は、青雲大善庵主(俗名善左衛門、永正10年卒)が創建した大善寺のもと境内で、境内に湧き出す清水が良く、徳川吉宗が大善寺に立ち寄った際には、清水を誉めて、大善寺の本尊薬師如来を「清水薬師」と命名したといいます。大善寺は、昭和初期に総泉寺に併合、当地は総泉寺亀山荘庭園として築造されたものの戦中戦後にかけて荒廃、平成元年板橋区が整備、薬師の泉庭園として開園したといいます。

薬師の泉庭園
薬師の泉庭園の概要
名称 薬師の泉庭園
みどころ 庭園・薬師の泉
区分 板橋区登録記念物
住所 板橋区小豆沢3-7-20
備考 -




薬師の泉庭園

薬師の泉庭園は、青雲大善庵主(俗名善左衛門、永正10年卒)が創建した大善寺のもと境内で、境内に湧き出す清水が良く、徳川吉宗が大善寺に立ち寄った際には、清水を誉めて、大善寺の本尊薬師如来を「清水薬師」と命名したといいます。大善寺は、昭和初期に総泉寺に併合、当地は総泉寺亀山荘庭園として築造されたものの戦中戦後にかけて荒廃、平成元年板橋区が整備、薬師の泉庭園として開園したといいます。

板橋区掲示による薬師の泉庭園について

「境内山の腰より清泉湧出」と「江戸名所図会」(江戸時代の地誌)の挿絵に描かれた薬師の泉は、かつてこの地にあった大善寺という曹洞宗寺院の境内にありました。
江戸時代、八代将軍徳川吉宗が志村周辺で鷹狩りをした際、大善寺に立ち寄り、境内に湧き出す清水を誉めて、寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。
この他にも、江戸時代の文献などには、薬師の泉や周辺の清水に関する記載が多く見られ、この地が古くから良質の水を産する土地であったことを物語っています。
板橋区では、先の挿絵(下図)をもとに庭園整備を行い、平成元年一二月に「薬師の泉庭園」を開園いたしました。挿絵は、現在のあずまや付近から見下ろした境内の風景を描いています。画面左上に見える道は、中山道の清水坂です。泉の水は、中山道を通る旅人の喉も潤していたのでしょう。
教育委員会では、この整備をうけて、同二年度、当庭園を記念物に指定しました。(板橋区・板橋区教育委員会・板橋区観光協会掲示より)

板橋区掲示による薬師の泉について

十五世紀末、この地に、農民善左衛門は聖徳太子作と伝える薬師如来を本尊として大善寺を開基した。後、八代将軍徳川吉宗遊猟の途中立寄り、清泉に因んで「清水薬師」と称すべしという。
志村三泉の一つとも言われる豊かな湧泉は、中山道を往来する旅人や江戸名所を訪ねる人々の信仰と憩いの場所として賑わった。
大善寺は昭和初め総泉寺と併合し、総泉寺亀山荘庭園が築造されたが、戦中戦後荒廃した。
この度、板橋区は、「江戸名所図会」にまで登場する水と緑の名所を現代に再生すべく、学術的検討をふまえて江戸の風情を復元整備した。(板橋区より)

新編武蔵風土記稿による大善寺について

(中台村)大善寺
志村内当村の飛地にあり、禅宗曹洞派、江戸芝青松寺末、医王山薬師院と号す、本尊薬師、聖徳太子の作坐像長二尺許、是を清水の薬師と呼ぶ、享保の頃有徳院殿御放鷹の時、境内に清水あり、其流いと清冷なれば、清水の薬師と唱へよとの仰あり、夫より以来近郷に其名高しと云、開基は青雲大善庵主、永正十年二月歿す、俗称を善左衛門と云ひ当村に住せし者なりと傳ふるのみ。或は千葉氏の支族なりとも云へり。開山在天宗凰元亀三年正月寂す。(新編武蔵風土記稿より)


薬師の泉庭園の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿