青蓮寺|板橋区成増にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

瑠璃光山青蓮寺|御府内八十八ヶ所の清光院を合寺、豊島八十八ヶ所霊場

青蓮寺の概要

真言宗智山派寺院の青蓮寺は、瑠璃光山と号し、開基開山について不詳ですが、当初弁天塚付近(現高島平4-23付近)にあったと言われています。解体された旧本堂の墨書から元禄6年(1693)の中興とされ、江戸期には石神井三宝寺末、菅原神社の旧別当寺でした。大正13年に、御府内八十八ヶ所霊場19番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場86番札所だった浅草松葉町清光院を合寺し、現在に到ります。明治期には、豊島八十八ヶ所霊場77番札所でした。

青蓮寺
青蓮寺の概要
山号 瑠璃光山
院号 -
寺号 青蓮寺
住所 板橋区成増4-36-2
本尊 薬師如来
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場19番札所、豊島八十八ヶ所霊場77番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場86番札所



青蓮寺の縁起

青蓮寺は、開基開山について不詳ながら、当初弁天塚付近(現高島平4-23付近)にあったと言われ、解体された旧本堂の墨書から元禄6年(1693)に中興したことが判明しています。大正13年に、御府内八十八ヶ所霊場19番札所・荒川辺八十八ヶ所霊場86番札所だった浅草松葉町清光院を合寺し、現在に到ります。

新編武蔵風土記稿による青蓮寺の縁起

(成増村)青蓮寺
新義真言宗上石神井村三寶寺末本尊薬師(新編武蔵風土記稿より)

いたばしの寺院による青蓮寺の縁起

開基開山については明確な口碑さえなく、わずかに伝えるところによれば、寺は始め、弁天塚のほとり(現高島平4-23あたり)に建てられてあったが水害のためにいつの時代にか現在地に移転したという。本尊薬師如来が室町時代の作風を持つので、寺の創建も凡そその時代の頃を推定される。昭和34年4月に旧本堂が解体された時、棟木の一端に「元禄6年10月、円宗代、大工与平次、千住」の墨書が発見された。このことによりこの時、円宗により堂宇が整備されたことは明らかである。円宗こそ中興の名僧と言うべきか。現在の世代は中興から数えられている。なお、文政末期から大正初期まで凡そ百年間は無住であった。この間に文書什器等散逸してしまった。円宗の本堂改築は火災に依ると言われ、これを機にしてこれより後、檀家には火災が起きていないと伝えられている。
大正13年に浅草松葉町の清光院を合寺し、昭和9年に13世正善大和尚入山以来、本寺は面目を一新したという。なお、本寺は豊島八十八ヶ所霊場の第77番、江戸御府内八十八ヶ所霊場の第19番札所である。(これは浅草清光院の合寺に依る)(いたばしの寺院より)

清光院について

清光院は、江戸時代の書物によると慶長11年(1606)頃の創建と言われていたようです。大正12年関東大震災で焼失し、青蓮寺に合寺されました。

御府内寺社備考による清光院の縁起

芝愛宕山円福寺末 浅草不唱小名 花園山神応寺清光院、境内古跡拝領地800坪。
当寺起立并寺地拝領之儀は、書留諸書物等焼失仕、相知不申候。
開山慈観法印、卒年月不知。
本堂、本尊阿弥陀如来立像、弘法大師、興教大師、不動尊立像。
扇稲荷神社、土蔵造間口2間半奥行2間半。神体白幣(御府内寺社備考より)


青蓮寺の周辺図