紅梅山安楽寺|紅梅学校創立地、豊島八十八ヶ所
安楽寺の概要
真言宗智山派寺院の安楽寺は、紅梅山来迎院と号します。安楽寺の創建年代は、尊栄和尚が応永3年(1396)に創建、徳丸北野神社の別当を務めていたといいます。明治7年には板橋区内最古の私立紅梅学校(現紅梅小学校)が創立、明治22年まで当地にあったといいます。明治29年、徳丸の観音寺と合寺したといいます。豊島八十八ヶ所霊場35番札所です。
山号 | 紅梅山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 安楽寺 |
住所 | 板橋区徳丸8-9-1 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場35番 |
安楽寺の縁起
安楽寺の創建年代は、尊栄和尚が応永3年(1396)に創建、徳丸北野神社の別当を務めていたといいます。明治7年には板橋区内最古の私立紅梅学校(現紅梅小学校)が創立、明治22年まで当地にあったといいます。明治29年、徳丸の観音寺と合寺したといいます。
板橋区教育委員会掲示による安楽寺の縁起
安楽寺
御本尊は阿弥陀如来。真言宗智山派に属し、紅梅山来迎院安楽寺と号しています。
寺伝によると、当寺は応永三年(一三九六)尊栄によって創建されたと伝えられています。御祭神菅原道真を祀る北野神社とは深い関係があり、寺号安楽寺も九州太宰府天満宮の別当安楽寺に因んだと考えられています。
明治七年七月、当寺内に区内最古の私立紅梅学校(現紅梅小学校)が創立され、明治二二年になって現在の場所へ移転しました。
当寺に安置されている聖観音菩薩は、近在にあった旧観音寺の本尊で徳丸観音と呼ばれていましたが、明治二九年に旧観音寺が安楽寺と合寺した際に当寺へ移されたものです。(板橋区教育委員会掲示より)
いたばしの寺院による安楽寺の縁起
寺伝に室町期暦応三年(一三四〇)寂の尊栄和尚が開山とあるが、史料は残っていない。世代墓碑では万治二年(一六五九)のが最も古い。石神井の三宝寺とは古くより関係をもち、その院虚寺と伝えられている。中興四世と称せられる宥慶は享保三年に三宝寺の日盛より伝法を受けて入山している。同年の銘ある梵鐘によれば、足立郡青木村から入山した宥聲は荒廃していた寺と再興したとある。昭和五十三年に山門解体の時、享保十一年(一七二二)の棟札が発見されている。十八世紀はじめには、本堂・庫裏・鐘楼・山門等が既に立派に整っていたことであろう。明治四年住職尊盛が寂入以来はしばらく無住の時代が続いたらしい。なお、明治七年七月に、本寺に「第九大区第四中学区第五番小学紅梅校」が開校された。(いたばしの寺院より)
新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起
(徳丸本村)安楽寺
本村の内なり、新義真言宗、上石神井村三宝寺末、紅梅山来迎院と號す、本尊弥陀聖徳太子の作、長二尺許の立像なり、開山尊榮応永三年の起立と云。
鐘楼。享保三年の鋳造なり。
稲荷社。三峯社、金毘羅社。阿弥陀堂。地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの寺院」