修廣寺。1400年代初めに開創、寺領3石9斗の御朱印状を受領
修廣寺の概要
曹洞宗寺院の修廣寺は、夏蒐山と号します。修廣寺は、天寧寺二世松澗玄秀大和尚を勧請開山と仰ぎ、二世孤岩伊俊大和尚が開闢開山、創建は1430年代だといいます。当寺二世住職は、大蔵安全寺、黒川西光寺を開山、三世住職は長沢盛源寺、早野戒翁寺、五力田全明寺、片平東陽庵を開山、四世住職は上麻生東林寺を開山、六世住職は広袴妙全院を開山、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院で、江戸期には江戸幕府より寺領3石9斗の御朱印状を受領したといいます。
山号 | 夏蒐山 |
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院号 | - |
寺号 | 修廣寺 |
住所 | 川崎市麻生区片平2-8-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
修廣寺の縁起
修廣寺は、天寧寺二世松澗玄秀大和尚を勧請開山と仰ぎ、二世孤岩伊俊大和尚が開闢開山、創建は1430年代だといいます。当寺二世住職は、大蔵安全寺、黒川西光寺を開山、三世住職は長沢盛源寺、早野戒翁寺、五力田全明寺、片平東陽庵を開山、四世住職は上麻生東林寺を開山、六世住職は広袴妙全院を開山、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院で、江戸期には江戸幕府より寺領3石9斗の御朱印状を受領したといいます。
新編武蔵風土記稿による修廣寺の縁起
(片平村)修廣寺
境内御朱印の内、村の東にあり、禅宗曹洞派、多磨郡根ケ布村天寧寺末、夏刈山と號す、昔は村内寺臺にありしを、いつの頃にや此所へ移せり、客殿九間に七間半東向なり、本尊釋迦坐像にして長八寸許なるを安せり、開山松澗玄秀は【譫語集】に見ゆ。
(中略)
とあり、寺傳には永正十七年十二月十二日寂すといへば、しばらく其異同をしるす、山門二間に三間半、樓上に十六羅漢を置、大鐘は文化三年の銘ゆへもらせり、修廣禅寺の額をかがく、中門兩柱の間一丈、いづれも東に向へり、當寺御入國以来高三石九斗の御朱印を賜はれり。
稲荷社。二カ所共に境内にあり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による修廣寺の縁起
夏蒐山修廣寺について
1400年代初めに開創された禅寺(曹洞宗)で、末寺は元8カ寺(現6カ寺)。山号の「夏蒐山」は、その昔、源頼朝が、この辺りで、なるに巻狩(蒐)をしたことに由来する。
第七世住職のとき将軍家光より御朱印地三石九斗を賜った。本尊は釈迦如来。お前立として、寅年にのみ開扉される薬師如来(伝承では行基作)が安置されている。明治5年の学制により初めての公立学校「片平学舎」がこの寺に開かれた。位牌堂兼衆寮(現在建て替え中)が教室に充てられたようだ。明治10~30年頃には、さらなる高等教育を求める子女のための「夏蒐塾」(指導者は22世、23世)が置かれ、地元のリーダーを輩出していた。(境内掲示より)
修廣寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿