稱名寺。赤穂浪士所縁の寺、川崎大師の弘法大師像
稱名寺の概要
真宗大谷派寺院の稱名寺は、平間山と号します。稱名寺の創建年代は不詳ですが、僧円山が真言宗寺院として創建、本願寺二世如信上人(1300年寂)の代に、浄土真宗へ宗旨を改めたといいます。また、川崎大師平間寺の弘法大師像は、かつて稱名寺が真言宗寺院だった頃に所蔵していたものだと伝えられています。赤穂浪士所縁の寺としても有名で、大石内蔵助が吉良上野助邸へ討入りを果たす前に、平間村に逗留していたといい、当寺付近に滞在していたものと推定できます。赤穂浪士が討入りを果たした12月14日には、稱名寺でも遺品の一般公開が行われます。
山号 | 平間山 |
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院号 | - |
寺号 | 稱名寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 川崎市幸区下平間183 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 赤穂浪士遺品一般公開12月14日 |
稱名寺の縁起
稱名寺の創建年代は不詳ですが、僧円山が真言宗寺院として創建、本願寺二世如信上人(1300年寂)の代に、浄土真宗へ宗旨を改めたといいます。また、川崎大師平間寺の弘法大師像は、かつて稱名寺が真言宗寺院だった頃に所蔵していたものだと伝えられています。
新編武蔵風土記稿による稱名寺の縁起
称名寺
村の中央より少しく北に寄てあり、浄土真宗にて東本願寺末、平間山歓喜院と号す。本堂4間四方東向本尊弥陀の立像に長2尺6寸許、本願寺の六世巧如の作なり。当寺古は真言宗にて開山を円山と云、応永元年3月29日示寂せし事寺の旧記に見えたれど、古き事なれば詳ならず。殊に明暦年中回禄の災に罹りて旧記までも悉く烏有せしかば、総て寺伝の委き事を失ふ。然るに本願寺二世如信の時、当時の住僧某当宗に帰依して本願寺の末となり、今の宗に改む。其後東西分派の事に当派に属せり。
鐘楼。本堂に向て左の方にあり。9尺四方、鐘の径2尺2寸余、宝暦6年2月26日の鋳造なり。(新編武蔵風土記稿より)
稱名寺所蔵の文化財
- 紙本着色・四十七士像(川崎市重要歴史記念物)
川崎市教育委員会掲示による稱名寺の文化財
称名寺の文化財
当寺は、浄土真宗大谷派に属し、赤穂浪士所縁の寺といわれています。
当寺所蔵の紙本着色・四十七士像は、大石内蔵助を頂点に、赤穂浪士四十七士を左右対称的に配した桂掛風縦長の小品です。図様は、江戸時代に入って盛行した戦国武将列影図を模範にしたもので、精緻に描かれた、画格の高い作品です。延享元年(1744)の年記をもっています。
川崎市教育委員会は、この絵画を、昭和60年12月24日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)