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大石神社。赤穂市上仮屋の神社

大石神社の概要

大石神社は、赤穂市上仮屋にある神社です。大石神社は、明治元年に明治天皇が東京へ行幸した際、泉岳寺の義士墓前に勅使を派遣、赤穂浪士を弔し義士として深く嘉賞する旨の勅宣並に金幣を賜ったことを契機に、明治33年に神社創立が認可され、大正元年に大石神社が赤穂城内三の丸に創建したといいます。赤穂城内三の丸にはかつて、大石内蔵助、藤井又左衛門、片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯にあたるそうです。

大石神社
大石神社の概要
社号 大石神社
祭神 義士の統領大石内蔵助良雄命を始め四十七士命、中折の烈士萱野三平命、播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長距の三侯、浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊丸・力丸の七武将
相殿 -
境内社 国助稲荷社、淡島社、恵美寿宮、天満宮、山鹿社、八田社、忠魂社
祭日 義士祭12月14日
住所 赤穂市上仮屋131−7
備考 -



大石神社の由緒

大石神社は、明治元年に明治天皇が東京へ行幸した際、泉岳寺の義士墓前に勅使を派遣、赤穂浪士を弔し義士として深く嘉賞する旨の勅宣並に金幣を賜ったことを契機に、明治33年に神社創立が認可され、大正元年に大石神社が赤穂城内三の丸に創建したといいます。赤穂城内三の丸にはかつて、大石内蔵助、藤井又左衛門、片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯にあたるそうです。

境内掲示による大石神社の由緒

大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議が起こり、明治三十三年神社創立が公許され、大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する方々の奉斎により御鎮座となった
ご祭神四十七義士が一年十ヶ月の永い間艱難辛苦の末見事主君の仇を討った事により大願成就、願望成就の神として全国よりお参りを頂いている
境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯である
尚、ご社殿を始めとする境内各施設は平成十四年の義士討入り満三百年を記念した境内整備事業により一新された。(境内掲示より)

大石神社創建にまつわる明治天皇勅使差遣

勅使差遣と神社創建
明治天皇は明治元年東京行幸に際し泉岳寺墓前に勅使を差遣され良雄らを弔し義士として深く嘉賞する旨の勅宣並に金幣を賜った。
そのことを契機に神社創建の議が起り全国崇敬者の奉賛によって明治三十三年創立認可大石内蔵助良雄以下四十七人を祀る大石神社が赤穂城内三の丸に御鎮座になった。(境内掲示より)
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四十七士に賜わった明治天皇の勅語
大石良雄
汝良雄等固執主従之義復仇死于法百世之下使人感奮興起朕深嘉賞焉今幸東京因遣使權辨事藤原獻弔汝等之墓且賜金幣

明治元年戊辰十一月五日(境内掲示より)

「兵庫県神社誌」による大石神社の由緒

縣社大石神社
播州赤穂城主浅野内匠頭長矩の家臣大石良雄以下四十七士が君公の爲め大義を全うせし忠魂義膽は後人をして感憤興起せしむるものあり故に赤穂人士均しく其誠忠龜鑑武士道の眞體を千秋萬古に傳へん爲め神社建設の義を提唱する事ねんあり而して大石良雄の舊宅地には其手栽せし櫻樹の纔に存するに過ぎざりしかば安政五年邑の大庄屋三木政利衆と謀りて藩の文學河原翠城の撰文なる一碑を建て以て其遺蹟を昭にせり之より後幾星霜を經て世は廢藩置縣となりて顧るの暇なきまゝに其地漸く荒蕪に傾かんとせり赤穂の諸人之を憂ひて協力さゝやかなる祠宇を營み明治十七は知念の頃社殿を改築し舊邸内の地を卜して大石神社建設を企てしも成らず其後明治三十三年七月二十五日初めて大石神社の社號を以て一社創立を公許せられたり茲に於て明治四十三年大石舊邸保存神社建設會の名に依りて同年春工を起し先づ舊邸長屋門を修理し進んで本殿拝殿神饌所社務所祭器庫等直接祭祀に必要なる建造物を造營せんと議すかくて赤穂人士を初め天下同志の人々浄財を献ずる者多く遂に大正二年初春現在の如き社殿の造營と神域の完成を見るに至るかくて創立後村雲尼公、賀陽宮殿下、高松宮電化等親しく御参拝あらせられ幣帛料及び玉串料の御奉納あり其他從一位淺野長勲侯爵を初め高位高官貴顯紳士の其徳風を追慕して参拝する者枚擧に遑あらず昭和三年二月縣社に列せらる(「兵庫県神社誌」より)


大石神社の周辺図


参考資料

  • 「兵庫県神社誌」