大石良雄外十六人忠烈の跡|熊本藩細川家下屋敷地
大石良雄外十六人忠烈の跡の概要
大石良雄外十六人忠烈の跡は、港区高輪にある東京都指定旧跡です。大石良雄外十六人忠烈の跡は、江戸時代には熊本藩細川越中守下屋敷の一部だったといいます。吉良邸討ち入りを行った赤穂浪士四十六士のうち大石内蔵助良雄ら十七人が熊本藩細川家下屋敷に御預けとなり、当地で切腹したといいます。
名称 | 大石良雄外十六人忠烈の跡 |
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みどころ | - |
区分 | 史跡 |
住所 | 港区高輪1-4-6 |
備考 | - |
大石良雄外十六人忠烈の跡
大石良雄外十六人忠烈の跡は、江戸時代には熊本藩細川越中守下屋敷の一部だったといいます。吉良邸討ち入りを行った赤穂浪士四十六士のうち大石内蔵助良雄ら十七人が熊本藩細川家下屋敷に御預けとなり、当地で切腹したといいます。
東京都教育委員会掲示による大石良雄外十六人忠烈の跡について
この地は、赤穂事件で大石内蔵助良雄ら十七人が預けられた肥後熊本藩(五十四万石)細川越中守下屋敷の一部である。赤穂事件とは、元禄十四年(一七〇一)三月十四日におこった殿中刃傷事件とその翌年十二月十四日の夜から十五日にかけての吉良邸討ち入り及びその処分など一連の事件をいう。当時の藩主五代綱利は、十二月十五日老中稲葉丹後守正往(下総佐倉藩主)から大石内蔵助外十六人御預けの命を受けると、総勢八七五人に十七挺の駕籠と予備として五挺の駕籠を用意させ、大目付仙石伯耆守久尚の屋敷に送った。引渡を受けたのは午後十時頃で、この地に到着したのは午前二時過ぎであった。この様な大部隊を繰出したのは、藩の威武を示すとともに上杉家が親の仇たる四十六士を襲撃するかもしれないとの噂があったためである。細川綱利は、大藩の威力と識見を以て優遇し、御預四家のうちで即日引見したのは細川家だけであった。
元禄十六年(一七〇三)二月四日午後二時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹を申渡し、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存じ奉り候」と礼を述べて御請した。家臣の中から介錯人を出すよう命ぜられた細川家は十七人の切腹に十七人の介錯人を選定した。切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を負った位置である。切腹の座には畳三枚(細川家以外は二枚)その上に木綿の大風呂敷を展べ、背後も左右も白の幔幕を張り廻らした。大石内蔵助は安場一平(子孫は明治維新に功有り男爵を授けられた)の介錯で切腹した。
大石良雄外十六人は、浅野家の菩提寺泉岳寺に葬られている。(東京都教育委員会掲示より)
大石良雄外十六人忠烈の跡の周辺図
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