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花岳寺。兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗寺院

花岳寺の概要

曹洞宗寺院の花岳寺は、台雲山と号します。花岳寺は、赤穂藩主浅野長直公が浅野家の菩提寺として正保2年(1646)に創建、赤穂藩浅野家は断絶したものの、赤穂浪士の討入後には、浅野家・赤穂浪士所縁の寺として数多くの参詣を集めています。新西国第三十一番霊場、瀬戸内第七番観音霊場です。

花岳寺
花岳寺の概要
山号 台雲山
院号 -
寺号 花岳寺
本尊 釈迦牟尼佛像
住所 赤穂市加里屋1992
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



花岳寺の縁起

花岳寺は、赤穂藩主浅野長直公が浅野家の菩提寺として正保2年(1646)に創建、赤穂藩浅野家は断絶したものの、赤穂浪士の討入後には、浅野家・赤穂浪士所縁の寺として数多くの参詣を集めています。

境内掲示による花岳寺の縁起

台雲山花岳寺
当山は曹洞宗に属し、正保二年赤穂藩祖浅野長直公によって建てられた寺である。
元禄事変後は歴代藩主の菩提寺となっていた境内には義士の三十三回忌に刻んだ四十七士の木像、宝物、墓所等があって赤穂に杖を曳く者の必ず訪れる史蹟地である。
新西国第三十一番霊場
瀬戸内第七番観音霊場(境内掲示より)


いいお墓

花岳寺所蔵の文化財

  • 花岳寺山門(赤穂市指定有形文化財)
  • 鳴らずの鐘
  • 義士家族の墓

花岳寺山門

本山門は、もと西惣門であって、明治六年に花岳寺二十一代仙珪和尚が購入移築したものである。
柱は当時のものより約三寸短くなっていると思われ、建材は栂を主としている。主屋根は、本瓦葺きで、棟木と出桁が一支半継ぎたしされている。
本山門は、高麗門形式をとり、西惣門の遺構であるため、素朴無骨で武家門の風格を備え、城郭付属建築として、史的価値の高い貴重な門と言える。(境内掲示より)

鳴らずの鐘

この梵鐘は赤穂二代藩主浅野長友公が父長直公のために鋳造したものである。ところが三代長矩公の代に至り、吉良義央へ殿中に於て刃傷に及んだ事から、赤穂浅野家は三代で断絶した。元禄十五年十二月十四日、家臣四十七人は吉良邸へ討入り、長矩公の無念をはらした。翌年二月四日四十六士は切腹を仰せつかり、四侯邸で見事に自刃した。この報が赤穂に届いたので、町民は四十六士の死を悼み悲しみ花岳寺に集まり、この鐘を撞いてついてつきまくり、「爾来音韻を失すること五十年」と寛政九年再改鋳のこの梵鐘に銘記してある。音韻を失していた間を赤穂では誰いうとなく鳴らずの鐘といっていた。この度の戦争で全国の寺々の鐘は供出を命じられたが、この鐘は「義士との由緒深きにより」供出を免れた赤穂市内唯一の梵鐘である。(境内掲示より)

義士家族の墓

岡野又右衞門、不破数右衛門正種の祖父
 法名了義得入居士 元禄九年四月二十六日卒
理学宗心信士 千馬三郎兵衛光忠の養父
 俗名 三郎兵衛光利 寛文十一年八月十七日卒
心月妙耀大姉貝賀左門の女で吉田助兵衛の妻
 義士吉田忠左衛門と貝賀弥左衞門の母 延宝九年十月一日卒
至岸清休信女 吉田忠左衛門の姉で
 義士岡島八十右衞門の養母 延宝五年九月一日卒
芳山少林信士 名は助二郎 吉田忠左衛門の二男で
 吉田沢右衞門の兄 貞享三年正月十八日卒
右顕彰昭和三十五年八月十五日 赤穂義士会(境内掲示より)

花岳寺の周辺図